032:喘息の悪化に及ぼす性格の影響は大きい?!(平成9年10月20日)
先週の出張先での外来は、喘息が悪化した方が結構多かったです。喘息が良くなると自分の状態を過信しすぎて、前より悪くなるというパターンが結構多いようです。もちろんそうなってもきちんと治療すれば治るのですが、我慢の程度が以前よりひどくなって治りづらいということも多いようです。
ときどき発作やゼイゼイを起こすぐらいでいるほうが、より用心して生活するので喘息はかえってひどくならないのかなあ?なんて悲観的に考えてしまい、理想状態を目指して一生懸命治療してきた自分が情けなく感じることさえあります。
あらためて喘息を完全に克服しその状態を維持してゆくことの難しさを感じてしまいます。しかし、一度良くなった喘息が悪化して行く原因のほとんどは仕事の忙しさや生真面目な性格から由来するのではないかと思われます。これは、「寄稿集」の色々な患者さんからのお手紙を読ませていただくと、風邪を拗らせそれを我慢し働き続けることで喘息が発症して行く過程に酷似していると思いました。
「喘息は精神的な要因で悪くなる」とよく言われますが、「喘息の状態が完全に良くなればそんなことはない」と信じなかった私です。これは今でもそうであると信じて疑うことはありません。しかし、最近は「喘息の悪化は性格的なものに左右される」と思うようになっています。喘息にかかってひどくなる方は、ほとんどが生真面目で怠けることを知らない性格の方が多いような気がします。私はちょっと忙しいとすぐに(意図的に?)身体がついて行かなくなる性格であるため、なかなか悪化しないのかもしれません。喘息の方が皆おおらかで怠け者であったら、悪化する人は少ないのではないかと感じています。もちろん恐らく喘息を発症しないかもしれませんが…。
喘息で瀕死状態から救われたような方が良くなると、吸入ステロイドやピークフローメーターをこまめに続けてくれるので、ほとんど悪化することはありません。これは、几帳面な性格がいい方に現れている例だと思います。確かにまめでないと毎日続けることは難しいかもしれません。
問題はそのように痛い目(もちろん本人にとっては死ぬかと感じるくらいひどい状態であるとは思いますが…)にあっていない方が中途半端に良くなった場合なのです。喘息で痛い目に遭わない限り継続的な加療が難しいと考えると、痛い目にあっても命が取り留められた方は幸運ですが、もしそうでない方は“死”という最も悲劇的な結果が待つのみです。
実際、喘息死される方はこのような病状認識が不足していると言われています。あるいはこのくらいならまだ苦しくないと我慢して仕事を続け悪化して行くのことが良くないのです。ここに性格的要素が大きく左右してくるのだと思います。軽症(と考えられる)喘息にも喘息死が認められるとされているのもこのような理由によるのではないでしょうか? あらためて患者教育の難しさを実感します。
フルチカゾンのところでも述べましたが、いくら優れた薬剤が登場しても喘息はそう簡単にはこの世からなくならない病気のようです。宗教的発想ですが、やはり神は“健康を管理して行くのは自分自身であること”を教えるために喘息を一つの試練として人間に与えてくれたのかもしれません。その試練を克服できた者には至上のご褒美があり、それを甘く見た者には恐ろしい罰が与えられるのでしょうか?