111:慢性閉塞性肺疾患患者の実態。〜意外に知られていないタバコ被害〜(平成12年7月2日)

また、喫煙者には耳の痛いお話しをさせていただきます。

「タバコによる病気=肺癌」が恐らく世間一般の認識だと思います。肺癌は、早く見つかれば手術ですっかり治るか、手遅れであれば数年のうちに命を落としてしまうか、「all or none」の病気と言えます。肺癌の末期の苦しみは壮絶ですが、それで何年も苦しめられることはありません。

しかし、以下に紹介する慢性閉塞性肺疾患(Chronic Obstructive Pulmonary Disease=COPD、慢性肺気腫と慢性気管支炎)は、死ぬまで苦しめられる恐ろしい病気と言えます。最近は、医療の進歩(内服、酸素療法、手術など)によって、ある程度は呼吸困難や息切れなどから解放され、予後も改善されるようになっていますが、基本的には治ることはありませんから、一生苦しめられるのです。

喘息は、ハウスダストやダニなど原因は分かっていても、完全に回避できない側面がありますが、COPDは明らかに喫煙が原因です。喫煙者のすべてがこの病気になるわけではありませんが、喫煙しなければ発症しない病気です。その意味で肺癌よりも確実に禁煙との関連があります。

以下に、患者のプロフィールを2つ紹介します。

(1)は、慢性気管支炎患者で、私が学生講義につかっている資料からの紹介です。これは、イギリスの産業革命時代に街角でよく見られた慢性気管支炎患者の様子です。最近では、このような典型的な患者を見かけることはなくなりましたが、この病気を理解するには格好のケースだと私は考えています。

(2)は、PFセンターのOXYCHANが、先日介護関連の学生講義に使用した資料で、在宅酸素療法を行っている慢性肺気腫患者です。架空の症例ですが、実によく書けているので、お願いしてここに紹介させていただきました。慢性肺気腫患者を理解するには格好のケースです。

なお、関連記事として、「質問と応答」の「医療従事者から」の「【1006】外科の先生から・(1)父の肺気腫について」を参考にして下さい。

今タバコを吸っているあなた! タバコをやめるなら今ですよ。将来、若い頃にタバコを吸ったことは後悔はいくらでもできますが、蓄積したタバコの被害は一生消せないのですから…。


(1)慢性気管支炎患者のプロフィール:

患者は普通中年を過ぎた男性で、ほとんど技術を要しない仕事をしており、町では貧しい区域に住んでいる。若い頃からタバコを吸っている

冬の間、毎日せきたんが出はじめたのが何時頃からか思い出しにくい。しだいに日中や、ときには夜間にもせきをし、たんを吐き出すようになった。はじめは冬だけであるが、後には夏にも出るようになる。ときには、おそらく悪性のかぜがもとでたんの量が増え、たんは黄色か緑色になる

ときがたつにつれ、このような状態がだんだん頻繁に繰り返されるようになり、このようなときは息切れを感ずるようになる。

彼は仕事を休まねばならず、他方では失業しはないかと心配して病気のときにでも仕事に出かけたりする。そのうち病気でないときにも仕事をすると息切れを感じるようになる。重労働のとき、同僚の好意にすがって助けを求め、ついにもっと軽い仕事をさせてもらうよう事業主に哀願するようになる。

仕事に出る前にたんを出してしまい、呼吸を楽にするまで毎朝2時間くらいついやすようになる。

病気との長い闘いの後、彼は職を失ってしまう。役人は彼に同情はするが、彼がすでに高齢であることや、技術が身についていないことなどのため、彼に適した仕事はなかなか見つからない。

彼はもはや日常の糧を得ることはできず、妻が代わって働きに出かけ、彼は家事をしようとする。夜、彼はせきのために眠れず、彼の妻も安眠を妨げられる。彼は外出するとゆっくり歩き、息切れを人に見られまいとしてショーウィンドウをじっくり見つめるようになる。

彼はもはや金もなく、歓楽を求める意欲もなく、孤独に陥ってしまう。にがにがしく彼は医者に“じっと座っていれば何ともない”と言う。ひげを剃ることすらむずかしくなり、冬が来るのを不安に思い、霧がかかるのを恐れる。死はまだそんなに近くはないにしても、彼がかつて“タバコ吸いのせき”に過ぎないとして軽視していた病気のため、もはや生きる価値を失っている。

(Chest and Heart Association 1964、西本幸男 訳)


(2)慢性閉塞性肺疾患(COPD)患者と在宅酸素療法:

寄稿集読者の皆さん、こんにちは。

私は、72才、男性です。私は入院先の大学病院の、呼吸器科S先生の勧めで1年半前から濃縮器を使った在宅酸素療法(HOT=Home Oxygen Therapy)をしています。

病名は、慢性気管支炎肺気腫です。1年半前、風邪が原因で入院したんですが、病院へ行く途中、タクシーの中でぼんやり外の景色を見ていましたら、見ているものが白っぽく見えて来るんです。ああ、これで自分は終わりなのかなーと意識が遠のいていくのを覚えています。今から思うと、随分危ないところにいたんですね。

しかし、10年一昔と言いますが、12年前までは会社勤めの人間で1人前の仕事をしてました。それが、10年ちょっとの間に酸素を吸わないと生活できない体になるなんて思ってもみませんでした。入院中にお世話になった先生から、今までの様子を書いてみませんか(?)といわれました。今では、生活の慌ただしさもなく、ゆっくり時間があるので、それではと自己紹介と病状を書いてみることにしました。

仕事:

私は、12年前まで出版社に勤める会社員でした。本が好きで活字の中で仕事をするのが好きでした。30-40代で雑誌の編集に携わっていた頃は仕事に油がのった時期でしたが、反対にストレスも多かったようです。当然、タバコに火がつく事も多く気がつくと、すっかりチェーンスモーカーになっていました。でも、当時は徹夜で、ついタバコを吸いすぎてしまっていても、声がかれたり、ひりひりする位で別にこれといった問題は起こりませんでした。

40代後半で管理職にもなったし、本の編集の方に変わったので、徹夜なんてハードな仕事は無くなりましたが、タバコの方はすっかり習慣になってしまっていました。

発症:

定年近くなると、風邪でもないのに痰が絡むようになりました。でも、熱も出ないし風邪じゃないらしいで済ませていました。このころになると喫煙歴は毎日2箱*30年以上になっていたでしょうか?

65歳の時の冬、この年は、香港型インフルエンザがえらく流行った年でした。風邪気味だったんですが、どうしても出かけなきゃならない用があって外出しました。その夜39度の熱が出ました。年をとってから熱を出すことは大変な体力の消耗でした。その後、平熱になっても、なかなか風邪の症状が抜けませんでした。とうとう、桜が咲く頃まで風邪を引いていたことになります。女房が、咳も痰も取れないので、結核じゃないの(?)なんて言い出すものですから、とうとう近所の内科の先生に紹介状をもらって大学病院に受診しました。

診断:

病院では、問診の他、肺機能検査、喀痰検査、胸部レントゲン検査 胸部CTなどをしました。その結果、自覚症状から慢性気管支炎があり、肺機能検査や胸部X線検査で肺気腫がみられる。胸部CTでは、壊れた肺胞の度合いなどが知らされました。私の病名は、残念ながら気管支や肺の肺胞に炎症や障害がでてしまう治ることが難しい病気といわれました。

その後の経過:

まず、禁煙を即刻言い渡されました。が、これってなかなか止められるもんじゃないです。女房が家の中の灰皿を全部捨ててしまいました。家じゃ吸わなくなりましたが、趣味の囲碁クラブに行くとつい、対局に夢中になって禁煙を忘れてしまいました。大学病院から痰の切れを良くする薬をもらってたんですが、ある時S先生の前で、「薬を飲んでも痰が多い」といったら、先生が聴診器をあてている手をとめて、「近づいたら、たばこ臭いですよ、まず、禁煙をしてからそういうことは言って下さい」と言われてしまいました。それで、やっと禁煙ができました。確かに、病院へ行くまでに駅の階段がつらかったり、自分のペースで歩くには長く歩けるんですが、孫と温泉旅行に行ったときは、「おじいちゃんもっと早く、早く」と言われて走っていく孫をおいかけるのにそりゃあ苦しい思いをしました。

入院:

S先生や、看護婦さんから風邪を引かない注意を人一倍しなさい。そう助言されていました。どんな注意かというと、外出から帰った時のてあらいとか、うがいをしていました。が、やはり呼吸器の病気をもった患者は冬は風邪を引きやすいですね。風邪と一緒に痰が急に増え、色も黄色っぽくなりました。呼吸苦が強かったので、近所の内科に行かず大学病院へ予約外受診しました。車が病院に着いたときには、もうダメかとおもいました。サチュレーション(酸素濃度)が悪くなっていて、すぐに酸素吸入をするため入院になりました。飲み薬や点滴もやってやっと風邪もなおり、廊下を歩いたりも出来るようになりました。が、静かにしていれば苦しくないのですが、歩いた後はパルスオキシメーターでサチュレーションを計ると酸素飽和度が80台になってしまうことが分かりました。トイレだって歩けるんだからいつまでもベット脇の便器では嫌でした。しかし、トイレでいきんだ後は肩で息をするようになってしまいました。

病院の入院中は、やはり辛かったです。入院していると余りすることもないので、だだじっとしていると頭の中で色々なことをかんがえてしまいます。身体のこと、これからの生活のこと、そうすると心もおちこんでくるんです。自分で殻の中に入ってしまっていましたね。そうすると、ますます、思いめぐらすことは暗いことばかり。ああ、このままタクシーの中で意識がなくなっていればこんな苦しい思いをしなくて楽に成れたのになんてことも思っていました。

S先生からは息切れを和らげるために呼吸リハビリを勧められました。腹式呼吸口すぼめ呼吸を習得するために理学療法士の方からトレーニングもして貰いました。そうしている内に、S先生から自宅でも酸素を吸う事の出来る機械が有ること、保険が利くので個人負担が少ないことを教えられ、彼方も在宅酸素療法をやってみませんか、と勧められたんです。始めは、カニューラをつけて、家で過ごしたり、外出するなんて格好悪いと思いました。が、看護婦さんから、同じ病気の多くの患者さんが酸素濃縮器を使っていること。呼吸の苦しいのが無くなれば、元気だった頃に近い生活が家で出来ること。在宅酸素のビデオを女房と見たりして退院を機会に在宅酸素療法をすることになりました。丁度、1年半前のことなんです。

私も女房も今では、すっかり酸素に慣れて生活しています。転勤で隣の県に引っ越してしまった孫が、「おじいちゃん元気になったから、夏休みに一緒に花火しようね」と電話してきましたよ。あれ、確か、酸素は支燃性といって物を燃えやすくするんでしたね。酸素吸入しながら花火はあぶないようですね。がっかりする孫の顔は見たくないので、近くの神社の夜店にでも行ってみようかと思います。ええ、今じゃ人の前にだってカニューラをつけて出かけられるようになりました。家にばかり居るより、気分が晴れて、もう一度人生をやり直していると思うようになりました。

HOTの理解:

先生、入院中は本当にお世話になりました。薬による治療の他に、精神的にも助けていただいたような気がします。回診の度に「おや、きょうは顔が晴れやかですね。なにかいいことありましたか?」と声かけして下さったり、どうして息を吐くときに息苦しさがあるのかを私にも解るレベルで説明してくれました。退院指導では風邪かな(?)と思ったときに飲む薬のタイミング早めの受診を教えて貰ったお陰で今年の冬は入院せずに家ですごすことができました。先生は、慢性と言う言葉にこだわってずっーと症状が治らないのではなく、これからずーと管理をしなければならない病気だとおっしゃいました。

退院して、自分で体調を管理するようになって酸素吸入も薬の吸入も呼吸法やリハビリ体操もすべて、これらを続けることが自分が自分らしく生きていくための処世術であり、先生の仰った慢性の病気の理解なのかと思えるようになりました。確かに、病気でない人にこの息苦しさを理解して貰うのは難しいと思います。S先生から、長い間、ちょっと1本と思って吸い続けたタバコが病気の主な原因です、と教えて貰いました。いまとなっては、後悔してもしきれない思いがあります。せめて、残っている肺の働きや体力をこれ以上低下させない努力をして、残った人生を自分らしく生きていこうと思います。これからも色々あるかもしれませんが、先生宜しくお願いします。