「ある喘息児の涙」を読んで
◆このエッセイを読んだ何人かの方から、貴重な感想を頂きましたので、ここに紹介させていただきます。
※さらに感想を頂ける場合は→『こちら』まで。
「ある喘息児の涙」を読んで思いました。
私も小学校の頃、発作が苦しくて泣いたことがあります。毎日夜中の3時頃になると苦しくて寝ていられません。父親は喘息に対する理解がなく、ゼーゼーいっている僕をうるさいと言い、暗く寒い外に出て、母親はただ僕の背中をさすることしかできまん。そんな母に、「なぜ僕だけこんな苦しい思いをしなきゃならない? 妹とか他の友達はみんな元気なのに。どうして?」と恨み言を泣きながら言ったことを思い出しました。
当時はまだ痛い注射を肩とかお尻にしたり発作を治めたり、ダニとかホコリに抵抗力をつける注射を定期的にしたりする治療しかありませんでした。今、喘息とかアトピーの子供が増えているらしいですが、早くこういう病気がなくなるといいですね。メプチンもアルデシンも必要ない日がきたら、いいでしょうね。
また私は当時、好きだった吉田拓郎とか長渕剛、中島みゆきが小児喘息だったということを聞いて、元気付けられたこともありました。諏訪部先生もラット喘息だったそうですが、そういう人達が、社会ですばらしい仕事をされていることは希望を与えてくれます。
(以上、平成11年9月9日)
◆22歳の女性より:
諏訪部先生、こんにちは。
先日「ある喘息児の涙」を読み、いてもたってもいられなくなってしまい、今メールを書いています。
私が長期入院していた療養所も「鍛錬療法」を取り入れていました。朝まだ暗いうちからマラソンをし、学校が終われば午後の運動、寝る前にも腹筋や背筋などの筋力トレーニングがあり、いつでも疲れ切っていました。
調子の悪いときには規定分(学年によって走る量やサーキットトレーニングの回数が決められている)を残してもよいことになっていましたが、それは累積されていって、規定が残っているうちは外泊や外出ができません。大抵の子は膨大な量の規定が残ってしまい、一斉外泊の前には泣きながら走っている子を見ることが当たり前になっていました。
私の行っていた療養所でもクスリは出来るだけ使わない方針だったので、一度喘鳴がでると腹式呼吸や冷水浴で自己コントロールをします。確かに退院してから「自分の力で治すこともできる」という自信がつき良いこともありましたが、本当のところはどうなのだろうと今は思います。
それまでクスリを最大限に使っても良くならなかった喘息児の発作が、病院をかえて自己コントロールを始めたことによって簡単に治るわけがありません。何日も肩で息をしながら、学校生活も病棟生活もこなしていくことになります。少し落ち着いてきても安静はないので、またすぐにぶり返してしまいます。治まったら規定の残りを返さなくてはいけません。そして苦しさにも当然慣れてしまいます。
その施設を退院してから10年がたちましたが、当時の友だちに会うと、みんながそろって苦しさ慣れをしています。怖いことに喘鳴がでていても走れる体になってしまっています。PEFは低く酸素が悪くてもそれに気づかず無理をして、大きな発作をだしたりします。本人の感覚では喘息はよくなっていても、内科の先生から見れば充分危なっかしい毎日を送っているのです。
療養所の先生の治療方針は間違っていないと思います。けれど自分の今や、当時病院で見ていた光景を思い出すと、納得できない部分が多くあります。
鍛錬療法は大切なこととは思いますが、鍛錬をする前に気道の炎症を取り除くような治療はありませんでした。小さい子も、ある程度大きい子も、それこそ「泣きながら」走りはじめる毎日でした。そして発作に適切な治療を施さないで、小さな喘鳴を大きな喘息発作にしてしまう点がありました。
小さい子は集団に慣れようと必死になります。苦しくても、鍛錬が日課になっていれば、走らないことは悪いことだと思ってしまいます。友だちにずるいと言われたらどうしよう、そんな不安もでてきます。みんなが頑張っている姿を見て、何もせずにいられる子はほんのわずかしかいないと思います。そうして無理を重ねて、「ある喘息児の涙」のような方が実際にでてきていると思うのです。
大抵の親は「できればクスリを使わない方が…」と思っているようですが、鍛錬などの原始的治療にばかり目を向けてしまうのはどうかと思います。心や体に一生ものの傷を残しながら辛い毎日を過ごしていくより、その状態を広い目長い目で見極めて、クスリを適切に使って、できるだけ良い状態に持っていくことができるはずです。療養所などの施設でも一人一人の状態をよく見て、その子だけの治療を行っていくべきではないか、そう思います。そして小児科の先生がしっかり吸入ステロイドについて理解し、適切な段階で導入し、家族や本人に正しい説明をされるような治療方針が当たり前になっていけばいいなと思います。
突然のメールで申し訳ありません。私自身、喘息を良くしたくて頑張っていたのに、あれは正しい選択だったのかと考えることがよくある毎日です。これ以上「ある喘息児の涙」のような方がでてきてしまわないように祈るばかりです。長々と失礼しました。
(以上、平成11年8月11日)
◆内科開業の先生より:
小生は、ある都市で開業する内科医ですが、先生の「ある喘息児の涙」を読み、先生及びこのホームページの存在を知りました。小生も小児喘息であり、子供心に咳が治まらず、夜間は治まっても苦しい夢ばかりみていたのを憶えております。思春期に寛解いたしましたが、大学院の時に増悪、以来、いろいろ人体実験しながら、適当にお付き合いしております。先生のように喘息に深い理解と熱意をお持ちの先生がおられることを知りまして、大変ありがたくまたホームページは大変参考になります。
(中略)
先生は喘息ですか?小生の廻りにも、患者さんというか喘息仲間という輩がおりますが、話をしていると自覚症状としてほぼ共通している初期症状があります。ピークフローメーターはなかなか持って歩けませんが、なんとも言い様のない症状で「そろそろやばいな」というのが判ります。これは、「気管の表面がちょっと分厚くなったような、うすい膜をはったような、痰が表面を薄く覆っているような、息をしても酸素の透過がいつもより少ないような、なにかひっかかっているような…違和感」です。気管の炎症を表現しているものだと思いますが、呼吸器科の元気な先生方に説明してもよく判らないようです。先生は、こういう初期症状といいますか印象は持ってらっしゃいませんでしょうか?
※コメント:
先生のような喘息の方には、是非とも呼吸器内科医になって欲しかったと残念でなりません。「子供心に咳が治まらず、夜間は治まっても苦しい夢ばかりみていたのを憶えております」とは、まさに喘息経験者しか明かすことのできない貴重な体験談だと思います。このようなことが実際に喘息児に起きているのだということを、吸入を含むステロイドを頭から否定するような喘息児のご両親や小児科の先生に是非理解して頂けたらいいなと願って止みません。
私は、このホームページの「寄稿集」の「主治医のひとりごと」でも記載しておりますが、動物実験を長年続けてきたことによるラット喘息です。最初はラットと接したときだけしか喘鳴は起こりませんでしたが、次第にその日の気候や体調によって軽い喉のひゅーひゅー位は起こすことがあります。先生の表現するような“うすい膜が張ったような感じ”は良くわかります。私は、痛みや苦しみを我慢することが嫌いな人間ですので、そのくらいですぐβ刺激剤を1吸入してしまいます。すると、すっーとその感じがすぐ取れてしまいます。ですからこれも立派な喘息の初期症状であると思います。同じ「寄稿集」の(8)の患者さんはこれを「喉のフィルター感」と表現していますが、まったくぴったりだと思います。彼女はそのくらいでも呼吸困難を感じるようで、救急受診しても当直の呼吸器科医に適切な処置をしてもらえなかったという可哀想な病歴があります。この点は、喘息を発作でしか判断しない呼吸器科医には今後教育して行かなければならない重要な点であると思います。
(以上、平成9年10月6日)
医事新報の先生の寄稿文を読み大変感銘を受けました。私は内科医ですが大学病院勤務時代は主に血液を専攻していました。そのため喘息に対してはかなり古い知識しかなく、数年前に一般病院に赴任してから多少とも不安を覚えたため喘息の本を読んでみました。吸入ステロイドが効果的であるということが書かれていたため、以後積極的に使用しています。しかし専門ではないためピークフローメーターの活用まではいきませんでした。いろいろなピークフローメーターの値に対する対処の仕方がよくわかりません。どのように勉強すればよいのですか?もし比較的安価であまり難しくない参考書などあれば紹介して下さい。
(以上、平成9年10月1日)
先生の医事新報のコラムを拝見しました。同じ臨床検査医学分野の先生が大変有用な記事を出しておられるのを知り、うれしく思います。学会などでお会いできれば光栄に存じます。
先生のお仕事のますますのご発展をお祈り申し上げます。
◆呼吸器内科の先生から:
先生のエッセイ良かったです。今後も特に小児科領域での吸入ステロイドの啓蒙活動頑張って下さい。
(以上、平成9年9月19日)
「ある喘息児の涙」を読ませていただきました。またいろいろと考えさせられました。そして、「二度と彼のような涙を流させないためにも…」の結びの言葉にジーンときました。少しでも多くの人にこの文章を読んでほしいと思いました。
◆喘息の49歳男性から:
先生のエッセイを読ませていただきましたが、自分のことのように実感をもって感じることが出来ました。全くおっしゃられる通りだと思います。これからもいろいろな困難があるかと思いますが是非頑張ってこの活動を続けていただきたいと陰ながらお願いすると同時に応援させていただきます。
◆開業の先生から:
今回、医事新報に掲載された、先生のエッセイは私のような、不勉強な医師にとり、まことに得難い最新情報でした。
前々から、在宅酸素療法中の患者さんに、ステロイドの吸入が投薬されており苦しくなくとも、使用するという説明の意味が理解できず、内心疑問を感じていましたが、先生のエッセイを読んでよくわかりました。
◆消化器内科の先生から:
義父の手紙に是非、読めと先生の医事新報の記事が同梱されており、先生のホームページのURLを知ることができました。家内ともども大変興味深く読ませていただきました。
私は7年前までは、血液免疫内科で白血病や膠原病を相手に全身ステロイド療法を行っていたのです。特に膠原病では、長期療法により無菌性大体骨頭壊死でと入院してきた結婚適齢期のSLE例を経験し、ステロイドの魔力を知っているつもりになっていました。これを機会にもう少し(吸入ステロイドを)勉強しようと思います。
※コメント:この先生のご長男は喘息で加療中です。
◆小児科の先生から:
医事新報、読ませていただきました。反響が楽しみです。
◆呼吸器内科の先生から:
日本医事新報のエッセイを拝見しました。日頃、アルバイトででかけますと、気の毒な喘息患者さんを見かけ、最初の頃は大学病院に引っ張って治療したりしましたが、この頃はあまりの多さに、自分一人ではどうしようもできない問題だと感じておりました。私にもできることがあるか、考えてみたいと思います。今後のご活躍を祈っております。
先生の文章中、「低酸素への慣れ」という表現ですが、この際に起きている現象は、呼吸努力感あるいは換気抵抗感知の無感覚化の方が主だと思います。喘息の呼吸困難感は酸素投与ではわずかしか改善しませんが、気管支拡張剤で閉塞性障害を緩和できると、随分楽になるのが事実と思います。低酸素負荷で換気量が増加する低酸素換気応答は無意識の反応であり、この反応の鈍い人が、先生のおっしゃるような喘息死のリスクを高く背負いこんでいるのではないかと思います。
したがって、このような状態で、鍛錬療法など運動させていたとしたら全く正気の沙汰とは思えません。過去に、不幸な事故がなかったことを祈らずにはいられません。
※コメント:
非常に専門的なお立場からのコメントです。この先生のおっしゃるとおり、「低酸素への慣れ」は、正しくは「慢性気道狭窄からくる呼吸努力感あるいは換気抵抗感知の無感覚化」と表現した方が良かったかもしれません。ただ、一般の先生がお読みになるので、わかりやすくこのような表現を使いました。この喘息児に施した治療は、酸素投与ではなくステロイドによる気道炎症除去でしたから、治療内容は正しくても「低酸素への慣れ」との表現は正しくなかったかもしれません。
もう少し噛み砕いて説明しますと、正常人の気道が急に細くなると呼吸困難を感じ、たくさん空気を吸おうとして、一生懸命呼吸をしようと呼吸努力をします。しかし、喘息の患者さんが慢性に気道が狭くなっている状態に慣れてしまうと、この呼吸困難感が麻痺してしまうのです。この状態に、酸素を投与してもさほどその呼吸困難感は解除されないのですが、気管支拡張剤やステロイドなどで気道狭窄を解除してやるとこの呼吸困難感はよく取れるのです。酸素が足りなくて苦しいのを苦しいと感じなくなるのとは厳密には異なりますので、「低酸素への慣れ」と言う表現は本当は適当ではないのです。
(以上、平成9年9月17日)