(00)主治医のひとりごと

私も喘息。言いたいことがいっぱい。


本人から

本人から

自分も喘息。もちろん小児喘息など経験したことがない。大学で研究用にラットを扱って10年以上になるのだが、その“怨念”のためかいつの間にかラットを扱うとゼイゼイとなり、ラットに触れた手で目を擦ろうものならまぶたがめくれるくらい腫れて痒くなる。ラットに引っ掻かれると、その筋に沿って皮膚が赤く膨隆する。しかし、発作時にベロテックなどを吸ってごまかしていた。

しかし、体調の悪かったある夜咳が止まらなくなったことがある。苦しかった。眠れなかった。それでも喘息の定義上はいわゆる“発作”ではないのだ。喘息治療のガイドラインからすれば自分の咳は軽症にすら当てはまらない、言ってみれば治療対象外。こんなガイドライン一体どれだけ役に立つのだろうか? 一生懸命ガイドラインを作って下さった先生には申し分けないが、これが果たして患者さんのことを考えた治療方針なのだろうか?と言うのが正直な感想だった。

私は、自分でいつも患者さんに処方しているいくつかの内服薬と同じものを他の医者から処方してもらった。だがどうしてもテオドールや抗アレルギー剤は服用する気にはなれず、結局いろいろな薬の中から吸入ステロイドだけを選んだ。なぜなら、吸入ステロイドが一番強力で副作用がないことを知っていたからだ。自分が飲まない薬を処方するなんてひどいと思わないで欲しい。私はテオドールなどの気管支拡張剤で動悸が起き、抗アレルギー剤は眠くなって仕方がないのだ。自分にとっては死ぬほど苦しい咳発作だったが、一般的には“軽症”のうちに吸入ステロイドを使ったためか、その後このようなエピソードはない。もちろん、原因は明らかにラットなので、実験をするときは防塵用ヘルメットかぶりフィルターを通したエアーを吸うという努力はしている。私は喘息のことを知っている。またどうすれば悪化しないかも知っている。だから忙しい日常診療のなかでもあまり悪くならない。だから患者さんが喘息のことをもっともっと知れば、悪くなる人はずっと減るはずだというのが正直なところだ。

ホームページというのは、本当にありがたいものであると思った。私は卒後13年目の医師である。一般的には、“中堅医師”の部類にはいる。卒後1、2年目の若い医師よりは、多くの患者さんを診察して来たからそれなりの経験はある。しかし、30年も医療に携わってきた医師に比べたらまだまだである。よく、マスコミの番組や医学関係の雑誌などに登場するのは、それなりの大家や大御所がほとんどで大体はいかにも“医者らしい”風格ある人間ばかりであろう。例えば、『喘息治療の進歩について』などと題した番組や座談会が組まれたとしたら、当然私などには声も掛からない。しかし、このホームページなら、もしかしら誰かがこういう中堅の医師の“ひとりごと”を読んでくれるかもしれないと考えたからだ。そして、その中にマスコミ関係者なんかがいて、どこかで何かの記事に取り上げてくれるかもしれないという可能性だってある。

それなりの大家や大御所は、その言動の一つ一つに重みがあり説得力があるかもしれない。しかし、立場上はっきりと言えないことがたくさんあるのも事実だ。軽率な一言が、例えば喘息に悩む患者さんに大きな不安や失望を簡単に与え得るからだ。この寄稿集でも述べたが、特に喘息治療に関しては自分の研究上の立場や製薬会社との絡みがあって、はっきりと言えないことがたくさんあるからだ。しかし、その意味で地位も名誉もない自分は楽である。患者さんが良くなるために最大限必要な情報を、自分の利益とは無関係に提供できるからだ。もちろん決して無責任にではない。また、現在大学の勤務医であるため、儲けを得るための経営を考えず、必要最低限の医療ができるからである。しかし、一旦自分が私立の病院へ勤務したり開業したりすれば、現行の医療体制でははっきり言えないことがたくさん出てくるかもしれない。今だからこそ言える“ひとりごと”がたくさんある。

自分は、現在大学病院に席をおいて研究をしている身分であるが、一生懸命研究をしてたくさんの病気が克服されるようになればなるほど、言ってみれば医師としての自分の首を絞める結果になる。私が万が一癌の特効薬を発見すれば、ノーベル賞をもらって自分の栄誉にはなるかもしれないが、恐らくたくさんの医者からは嫌われる存在になるであろう。なぜなら、癌で“食ってきた”医師にとってそれは生活の糧を失うようなものであるからだ。しかし、これに似たようなジレンマが世の中には実に多いと思う。例えば、喘息の治療。発作で救急外来を受診した患者さんに、気管支拡張剤のみを投与し予防策を講じなければ、患者さんはまた必ず発作を起こしてやってくる。苦しいのをとってあげるととても感謝される。いわゆる医者冥利に尽きるという奴だ。何回も何回も点滴を続けるうちに病状は悪化し薬の数は自ずと増える。患者数は減らない。儲かる。逆に時間をかけて病気のことを説明し教育し、最小限の薬剤で一切発作が起きないように導いてあげると、患者さんにはとても感謝されるかもしれないが、実際に今の医療制度では儲けは少ない。儲けようとすれば患者さんを完全に治さないことである。儲け主義で意識的にやっている医師などいないと思うが、悲しいかな結果的にはそうなってしまう。患者さんを良くすることと医者として身をたてて行くこと、これは永遠のジレンマであるように思う。

実際10年前、吸入ステロイドが内科領域で普及し始めた頃、そのあまりの切れ味の鋭さ(発作の減少から生活の質の改善)、また副作用の少なさなどから、この世から喘息という病気が完全に克服され、呼吸器科医としての自分の存在価値がなくなってしまうのではないかと不安に思った時期がある。実際、重度の発作で喘息患者が病棟を占拠する割合が極端に減ったのである。明らかに喘息の治療の主体は、入院から外来へ移ってしまったのである。主に病棟で仕事をする若い研修医の中には、このような背景から喘息の発作を実際に経験したことがない先生すら現われかねない。一昔国民病といわれた“結核”が、今では典型例を経験することが難しくなってきているのに酷似している。

しかし、私の呼吸器科医としての存在意義がなくなるかもしれないという予想は、悲しいかな、そんなに単純なものではなかった。それは、ある程度の発作から解放されるようになると、人間の本性として無理をしてしまうことであった。つまり発作はないが、人並みに活動したいと思うと様々な生活制限がでてくることであった。おそらく、吸入ステロイドが普及し喘息がある程度“克服”され、“喘息恐るに足らず”と思っている医師にはこのような制限生活などはほとんど目に止まらなかったのではないだろうか?

私がこのような生活制限に気がついたのは、(02)と(03)の患者さんのお陰である。従来のピークフロー値の基準では不十分なのだと。また、このことに気付いた私は、片っ端から、「発作がなく何ともない」と言う患者さんにピークフローを吹かせてみた。やはりほとんどの患者さんは基準値以下であった。「本当に何ともないの?」と聞き返してみると、出てくること出てくること。階段が一気に上れない。全速力で走れない。朝咳が出る。喘息の患者さんなら当り前のことかもしれないが、“朝”というのは午前3時頃の場合がほとんどなのである。おそらく普通の人間なら、早くて6時遅くても7時半頃をイメージするのではないだろうか? 午前3時に目が覚めるのは十分な睡眠障害ではなかろうか? それでもこれらの症状は以前の苦しさに比べたら楽な方だと言う患者さんがほとんどだ。しかし、大切なことはこうした症状を続けている患者さんの多くは、風邪をひいては発作を起こしいつかは時間外外来のお世話になるのである。これは吸入ステロイドがもたらした新しい喘息管理の問題と考えられる。どうしたらこれらの日常生活制限から脱することができるのであろうか? 私なりのその答えは、ピークフローメーターと全身ステロイドである。

ピークフローメーターは、使ったことのない患者さんや導入に積極的でない医師は、「毎日つけるなんて面倒くさいのでは?」と考えるであろう。事実自分もそうであった。しかし、「発作がなく何ともない」という患者さんにピークフローを吹かせて、250という値がでたとする。その人の平均値が450であったとすると、ほとんどの患者さんはショックを受けるが、「年だから」とか「喘息だから」と必ず言い訳を考える。日本人は特に自分の健康が数値として表わされるとものすごく敏感なものである。その良い例が血圧である。どんなお年寄りでも血圧だけには敏感なものだ。それとまったく同じように、ピークフローが吹けないのは、年のせいでもなく喘息で体力がないせいでもなく、単に気管支が細くなっているためであることを説明してあげると、面白いようにピークフローを毎日つけてくれるようになる。こうなればもうしめたものである。

呼吸器専門の医師は別として、吸入ステロイドが代表的ステロイド剤であるプレドニンの何百倍も強力な抗炎症作用を有するステロイドであることはあまり知られていないのではないだろうか? 実は当初はじめてその事実を知ったときは私も大変驚いた。しかし、安心して欲しい。この吸入ステロイドは血液に吸収されても肝臓で分解されるから全身性の副作用がないのである。こんなに強力な吸入ステロイドを使用しても抑えることのできない気道の炎症なんてもうどうにもならないのではないか…? いや、私は吸入ステロイドが効かない喘息などほとんどないのではないかと考えている。吸入ステロイドが効かないのは、作用が不足しているのではなくて炎症を起こしている気道に届かないからなのだ。これが吸入ステロイドの最大の弱点である。しかし、一旦気道が開いてくれれば吸入ステロイドは、十分気道炎症を鎮め続けてくれるのだ。その一旦開いてくれるのが“全身性ステロイド”なのである。全身性ステロイドは血液から吸収されて、炎症で細くなっている気道を開いてくれる。全身性ステロイドの一番の怖さは何ヵ月、何年もにわたって長期間使用されるときである。2週間程度の服用は、胃腸障害などの急性副作用を除けば、糖尿病や骨への影響などのいわゆるステロイドの副作用はほとんどないとされている。ピークフローメーターを記録しながら、全身性ステロイドを一定期間使用しある程度気道を開き、吸入ステロイドを効かせるようにする。これが、発作はないが気道炎症からくる“日常生活制限”のある状態から脱する方法と考えている。

話は飛ぶが、私が呼吸器科医として専門に研究しているのは、肺線維症や急性呼吸促迫症候群(ARDS)など肺が破壊され、ステロイドが効かない難治性肺疾患である。呼吸器領域の主な疾患には、これらの他に肺癌、喘息、たばこによる肺気腫や慢性気管支炎などがある。肺気腫や慢性気管支炎やほとんどの肺癌は、この世から“たばこ”がなくなれば何十分の1に減るであろう。私がこれまで喘息を専門に研究対象として取り上げなかった大きな理由は2つある。1つは、喘息は基本的にステロイドがよく効く疾患であること。2つは、自分にはB型(あまり好きではないのだが血液型を変える訳には行かないのでどうしようもない)の血が流れており、どうしても人のあまりやらないことを研究したいという性格があったこと。ステロイドが効かない難治性肺疾患を扱っている自分にとって、喘息ほどステロイドが良く効く疾患はないのに、その使用を躊躇し、さまざまな日常生活制限に甘んじているなんて“勿体ない”としか思えない。喘息は決して甘くみてはいけない疾患ではあるが、なぜ喘息で職を失ったり、結婚できなかったり、子供を生めなかったり、高校へ進学できなかったりしなければならないのだろう?!

喘息治療に関しステロイドが悪玉になったのは、吸入ステロイドが普及する以前であり、マスコミがその副作用のみを一方的に取り上げたからではないだろうか? 内科領域で吸入ステロイドが十分浸透した今、確かに大きな発作は減少した。しかし“日常生活制限”がなく快適な生活が送れるようになるために、もう一度全身性ステロイドが見直されるべき新しい局面を迎えなければならない気がする。一方、小児科の先生が吸入ステロイドを受け入れてくれない大きな理由のひとつに、吸入ステロイドが普及する以前に副作用に対して抱いた“残影”があるのではないだろうか? テオフィリンのRTC療法やインタールを中心とした現在の治療では、(01)、(05)、(06)、(16)で紹介した患者さんのように喘息児はまだまだ不十分な状態であるという気がしてならない。今一度吸入ステロイドを見直して戴けないだろうか? 

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