(1)せっかく良くなった喘息が帰国でまた悪くならないかと不安です。

【132】33歳男性(事務系)の方より

<質問>

(平成11年5月6日)

諏訪部先生。

初めてお便りします。先生のページは1年ほど前から拝見しています。しばらく見ていなかったのですが、今年の2月ぐらいからまた頻繁に見るようになりました。今日は、私のぜんそく体験を寄稿することで、まだ良くなっていない方々、特に私と同じようにぜんそくと並行して心の病にかかってしまった方の参考になればと思い、このメールを書き始めています。他の方にもわかるよう周辺事情までできるだけ詳しく書こうと思います。したがって、どうしても長文になりますが、ご了承ください。

私は33歳の男です。仕事は事務系の中間管理職をしています。私の身体にぜんそくの症状が出始めたのは、今から3年ほど前、1996年の5月か6月頃でした。その頃私は肉体的にも精神的にも相当に疲れていました。私の勤務先は恒常的に異常な残業が求められるという点では日本でも有数のところです。そこで毎日夜中の2時や3時まで仕事をしていました。前の年の夏に地方から東京にある本社に移動になり、初めての中間管理職ポストについていました。仕事の方は結果的にはこなしていたのですが、その過程で心も身体もぼろぼろでした。それまでの1年間の間に胃痛で夜中に病院に駆けつけたことが2回、腰痛で机に座ることができなかったことが1回ありました。日曜日に子供の幼稚園の運動会に行って、敷いたゴザの上で熟睡してしまって、周囲の失笑を買ったこともありました。長時間の残業で疲労困ぱいしていた上に、部下に仕事を命ずることが苦手で、結局自分で背負い込んでしまうことに悩んでいました。そんな中、仕事で古い文書を書庫から探してきてそれを読まなければならないことになり、それを何日か続けていたのですが、ほこりをかぶっていたような文書のページをめくっているうちに、せきがずっと続くようになっていました。もともとアレルギー性の鼻炎を持っていて、この仕事で鼻水も出ていたのですが、最初は全くぜんそくとは気づかず、風邪をひいたのだと思っていました。

そうしてせきが続いているうちに、1996年の夏に配置替になりました。先の職務で、本人の精神的悩み・肉体的疲弊は外からはあまり見えなかったようで、逆に外からは仕事をよくこなしていると思われたらしく、それを評価されたような配置替でした。これにより私は更に自らを奮い立たせることになりました。後から考えると事態は悪い方へ、悪い方へと向かっていたのですが…。夏になって職場に冷房が入るようになると、せきの状況は一層悪くなりました。もともと腰痛があった上に、せきをするたびにズキンと痛みが走るようになり、せきがとまらなくなると腰に走る激痛で立っていることはできませんでした。

その一方で仕事は更に忙しくなり、夏休みを1日もとることなく、土日も休日出勤する毎日でした。あまりにせきが止まらないので、A医師のもとを訪ねました。後から知ったのですが、A医師は特にアレルギー系の疾患には明るいようでした。血液検査の結果、ハウスダスト他に対するアレルギーが再確認され、しばらく後にぜんそくと診断されました。私は大人になってから喘息になることがあることも知りませんでしたし、咳だけのぜんそくがあるとも知らなかったので、大変驚きました。

A医師からは、抗アレルギー剤(錠剤)と気管支拡張剤(吸入)が処方され、それとともに喘息関係の製薬会社作成と思われるパンフレットも何部か手渡されました。ピークフローメーターの説明もあり、購入して記録することを勧められました。しかしながら、吸入ステロイドについては処方も説明もありませんでした。おそらく、A医師はわたしの喘息を「ガイドライン」でいうところの「軽度」のものと判断して、吸入ステロイドは必要ないと判断したのではないかと思います。後から読んで気づいたのですが、パンフレットのうちの一つにも、ガイドラインを転用したような表が載っていて、「軽度」の患者へ処方する薬の欄には吸入ステロイドは載っていませんでした(なお、私は彼のことを今でも良い医師だと思っていますし、彼のことをこのことで責めるつもりは全くありません。おそらく当時の日本の医師としては常識的な判断だったのでしょう。ただ、もしこの「軽度の患者には吸入ステロイドは処方せず」という方針が日本では未だに変わっていないとすると問題だと思いますが…)

A医師からは仕事についても少し休みをとって身体を休めるようにとアドバイスを受けていたのですが、私はこれを軽視してしまいました。仕事が山のようにあってとても休める状況ではなかったのです。そのうち徐々に仕事の能率が悪くなってきました。せきと腰痛に加えて、肩こりがとてもひどくなり、疲労が更に蓄積しました。夜中に残業していても、仕事が何も進展せずに何時間も経ってしまうようなことが起こるようになりました。そしてどんどん仕事は溜まっていきました。そんな中、ある大きな仕事がなんとか一段落しました。自分の気持ちの中では「これでちょっとホッとできるな」と思いました。そんな時、上司から「あの仕事も終わったし、これからはちょっとは余裕もあるだろう」と言われて、他の人がやることになっていた全く別の仕事を自分の担当の仕事に加えて受け持つよう命じられたのです。それまで溜まっていた精神的・肉体的疲労の上に、おそらくこの一言がきっかけになったのだと思います。仕事を続けていく気力が続かなくなりました。

1996年11月のある日の夜中、妻に涙を流しながら悩みを話し、田舎の父に泣きながら電話をし、そして次の日から仕事を休みました。この時は自分をひどく責任感のない人間と思って自分を責めていました。肩がさらに痛くて仕方ありませんでした。その日、ある病院の精神科を訪ねました。最初のカウンセリングの中で、自殺を考えたことがあるかと聞かれ、夜中に残業しているときにこのまま窓から身を投げたら楽になれるかなと考えたことがあると答えました。私は「うつ病」と診断されました。抗うつ剤等を処方され、診断書を職場に提出して長期間仕事を休むように言われました。その時知ったのですが肩こりというか肩痛はうつ病の特徴的な症状の一つでした。

今手元に当時の「ピークフロー日記」があります。これを最近改めて読み、仕事を休む直前にあまりにすさまじい生活を送っていたことに驚愕しました。ピークフロー値はひどい時には300を割っていました。当時の私はそれでも「自分のぜんそくは軽度で大したことはない」と鷹をくくてました。喘息がとても良くなった今、当時の自分の胸の状況を想像してみると、いつもいつも呼吸がとても苦しかったのではないかと思います。自分がそれでも毎日夜中の3時まで残業を続けていたことが、今では自分でもとても信じられません。「ピークフロー日記」は、うつ病で仕事を休み始めてから、ぜんそくの治療法を変えたわけでもないのに、ピークフロー値が徐々に上昇していったことを示しています。そして3週間後毎日500を超えるようになったところで記載が終わっています。私の記憶では、その後もぜんそくのための通院と薬の服用は続けていたのですが、喘息よりもうつ病の方が大変で、ピークフロー日記の記載を止めてしまったのでしょう。

結局うつ病による病気休暇は翌1997年の2月まで続きました。その後職場復帰しましたが、さすがに会社も考えてくれて、残業を全くしなくて良くなりました。喘息の方も、吸入の気管支拡張剤を用いなければならないことも減りました。ただ、それでもちょっとしたことでせき込むことはよくありました。今考えると、長期の休養によって喘息の症状が自然に好転したものの、喘息の「根源」の部分はまだ治っていなくて、その時はマシでも状況次第でいつ悪くなってもおかしくない、といった状態だったのではないかと想像します。

そして1997年の夏、私は会社の配慮もあって、ある外国へ転勤となりました。私の会社は外国では仕事が楽なのです。ところが、出国前の引越し等で疲労が重なった上、現地に到着後、たまたま気候が悪くて雨が続き、さらに現地で住居探し等で疲労が重なった結果、喘息の状況が急に悪化しました。せきが続く上に、身体の疲労感がひどく、家ではベッドで横たわってばかりいる状況でした。そこで、現地の医師を訪ね、喘息も含めこれまでの病歴を話しました。医師からは、気管支拡張剤(吸入)と共に、preventer(予防薬)として吸入ステロイド剤を処方されました。日本で服用していた抗アレルギー剤は必要ないとのことでした。

せっかく吸入ステロイド剤を処方してもらったのですが、当時の私はまだ喘息治療に関する知識が不十分でした。気管支拡張剤で一時凌ぎをしているうちに咳が止まると、面倒くさくなって吸入ステロイドの服用も止めてしまいました。その頃の私には、どこかで読んだ「ステロイド=ムーン・フェイス等の副作用」という固定観念があって、「副作用のある薬なのだから必要ないのなら飲まない」と勝手に判断してしまっていたのです。

それから1年半あまりの間、一時凌ぎに吸入気管支拡張剤を用いることで、のらりくらりと過ぎました。今考えると、単に仕事が楽で休息がよくとれているので喘息がそれほど悪化せずに済んだだけだったのだと思います。それでも、1ヶ月に1回ぐらいの頻度で、雨の日などをきっかけに喘息による咳の継続で体調が悪い時期がやってくる、ということが続きました。私は以前にA医師から、今のところ喘息は完治できる病気ではないが、治療によってコントロールすることで快適な生活が送ることは可能、という説明を受けていました。果たして今の自分は喘息をコントロールできているのだろうか、日本に帰ってから残業のある生活ができるのだろうか…、そんなことを悩み始めました。

そしてまた喘息で調子が悪くなった今年の2月の夜、眠れなくてインターネットをしていて、以前に訪れたことのある「喘息患者さんからの寄稿集」ホームページに行きました。そして、私のような「軽度」と判断されるような患者であっても、吸入ステロイドとピークフロー記録による包括的な喘息のコントロールが重要であること、いやむしろ「軽度」であるうちにそのような治療に取り組むことで軽快させることが大事なのだということを感じました。そして早速吸入ステロイドの服用を中心に据えた取り組みを始めました。

私が処方を受けている吸入ステロイドは、おそらく日本の一般のものとはちょっと違っていて、ガスの中に非常に細かい粉末となって入っているもので、それを一気に吸い込むタイプのもの(吸入の方法としては、本サイトを読んだ限りの知識ですが、フルタイドというものに近いような気がします)なので、スペーサー云々の苦労はありませんでした。

それでもしばらく服用を続けても症状が改善せず(吸入ステロイドの効果が出るのに1、2週間かかることは知っていましたが、その期間を超えても効果が出ず)悩みましたが、「寄稿集」サイトの服用方法を熟読するうちに、併発している鼻炎から来るタンのからまりによって薬が患部に届いていない可能性に気づき、鼻炎薬の併用やうがいによるタンきり等を行った結果、喘息の症状がみるみるよくなりました。ピークフローを毎日記載するようにしたので、身体で感じる軽快と共に数値が上がっていくのが目でわかりました。そして恒常的に500台の後半から600が出るようになりました。

そして更に私を驚かし喜ばしてくれたことが最近ありました(この寄稿をするのも直接的にはこのことがきっかけです)。最近、妻の風邪がうつって自分も風邪をひきました。この2年間、私は100%の確率で、風邪をひけば喘息による咳の症状が出て、必ずそれが2週間程度続いていたのです。ところが、今回私は「もしかしたら喘息による咳は出ないのではないか」とひそかに期待していました。というのは、風邪をひいたな、と最初に思った日(鼻水と頭痛がありました)でも、ピークフローは前日までと変わらず600程度あったからです。それでも用心して早めに帰宅し、早めに寝るように心がけました。その結果、風邪は4日間でふっとびました。そして、咳は全くの1回も出ず、ピークフローはずっと580から600程度でした。やったー!という感じです。こんなふうに風邪がさっと抜けていったのは何年ぶりでしょうか。これが普通の人の風邪なんだと思いました。

そして今、ピークフロー値は何と680を示しています。もちろん吸入ステロイドの服用は毎日、朝と夜に続けています。最近は以前のような疲労感が全くありません。この国に来てからも、私は休日になると午前中はずっと寝ている日が多かったのです。もともと睡眠時間は長いほうなので、自分はこういう体質なのだと思っていました。ところが最近は休日でも8時とか9時ぐらいに自然とつらくなく起きることができるのです。大袈裟かもしれませんが、こういう寝起きができたのは自分では中学生の時代以来のことではないかと思ってます。

そして不思議なもので、疲労感がないせいかスポーツをしたくて身体がうずうずしていて、最近スポーツジムに通い始めました。これでエアロビ運動等で持久力がつけば一段と疲労しにくくなることを期待しています。疲労感がない→運動を始める→持久力がつく→一層疲労しない、という好循環です。医学的にこんなことがあるのかどうかはわからないのですが、私の実感としては、これまで喘息のせいで呼吸が完全ではなくて毎日目に見えない形で身体に負担がかかって疲労していたのではないかと思うのです。

こんなに良くなったのですが、まだ不安はあります。実は今年の7月に日本へ帰国することが決まりました。また忙しい生活に戻って喘息が再発することはないか、そしてまた心が病むことはないか、とても不安です。それでもある程度の自信を持って帰国の覚悟ができるのは、やはり今は日々のコントロールの方法が確立できていること、そして先日の風邪を難なく乗り切ったことが大きいです。そういう意味では、不安とともに期待があります。これで帰国後も喘息が出ないようであれば、今度こそは吸入ステロイドを慎重に長い時間をかけつつも減らしていくことができるのではないかと…。

以上、私の体験を長々と書きました。最後に、ぜんそくと共に心の病を患ってしまった方々、あるいは、喘息を患う一方で心の病とは認識していなくても日々精神的ストレスに悩んでしまっている方々に伝えたいことがあります。私の場合も、うつ病を患った原因の大部分は精神的なストレスだったと思います。しかし、今考えると、喘息とか腰痛といった、常に身体に影響するような病気を患ってしまったことを大きいと思うのです。意識するとせずとに関わらず、身体には常々負担がかかっていて、それがストレスに対する抵抗力も弱めるだろうし、またストレスもこうした病気の症状を悪化させるでしょう。つまり心も身体もひとつの人間を構成しているのですから、全ては複合的に作用してしまうのではないでしょうか。

今の医学の制度だと、うつ病は精神科、喘息は内科、腰痛は形成外科と、縦割りに切り離されてしまっていて、複数の病気を患っている患者自身もそれらの病気を切り離して考えがちです。でも私の経験からいうと、もしあのうつ病の前の時期に喘息に対して適切な治療を開始していれば、もしかしたらうつ病を患うことはなかったのではないかとも思うのです(もちろんあのような残業と休日出勤の日々を続けていれば、たとえあの時点で吸入ステロイドを飲んでいても喘息はよくならなかったかもしれないのですが…)。だから、ぜんそくと共に心の病を持ってしまった方々には、それぞれの病気を甘く見ずに適切な治療を受けること、特に喘息についてはこの「喘息患者さんからの寄稿集」ホームページで多くの方が賛同しているような治療法があるのだから、ぜひこれを一日も早く開始してほしいです。先に書いた私の体験談を読んだことがそのきっかけになってくれればと思ってます。

最後になりましたが、正しい喘息治療の普及に奮闘されている諏訪部先生と、諏訪部先生の教えを外国にいても拝受することができるようになったインターネット技術の進歩に対して、感謝を記します。本当にありがとうございます。お忙しい中でいわばボランティアの形でホームページを開設・維持されるのは本当に大変かと存じますが、私のような患者を一人でも多く正しい方向へ導いてくださるよう、これからもがんばってください。応援しています。

<応答>

初めまして。

今回は大変感銘を受ける力作メール、ありがとうございます。

>>今日は、私のぜんそく体験を寄稿することで、まだ良くなっていない方々、特に私と同じようにぜんそくと並行して心の病にかかってしまった方の参考になればと思い、このメールを書き始めています。

→ありがとうございます。この主旨は私のホームページの基本にある考え方です。

長い克明な病歴・闘病記を読ませていただいて、過労が喘息の発病や悪化に発展していったこと喘息からくる二次的な病気はやはり喘息を良くすることで快方に向かわせ得ること正しい理解と実行があれば喘息は絶対に良くなること、などを学ばせていただきました。今回のメールは、多くの方に自信を与えてくれることでしょう。ありがとうございました。

>>実は今年の7月に日本へ帰国することが決まりました。また忙しい生活に戻って喘息が再発することはないか、そしてまた心が病むことはないか、とても不安です。それでもある程度の自信を持って帰国の覚悟ができるのは、やはり今は日々のコントロールの方法が確立できていること、そして先日の風邪を難なく乗り切ったことが大きいです。そういう意味では、不安とともに期待があります。これで帰国後も喘息が出ないようであれば、今度こそは吸入ステロイドを慎重に長い時間をかけつつも減らしていくことができるのではないかと…。

→確かに日本での激務への復帰を考えると不安が蘇ってくるのは仕方ないでしょう。しかし、仮に悪化しても、自己の最良の状態を知っているかどうかがこれまでとは大きな違いです。そして、どうなったらそこから脱却できるかも学んできたはずです。この状態が帰国後も恒常的に続くかどうかは保証はできませんが、何でも早め早めに手を打って行けば、以前のような状態へ戻ることはきっとなくなることでしょう。

しかし、逆に日本でも今の状態を維持できれば揺るぎない自信になることは言うまでもありません。おっしゃるとおり吸入ステロイドさえ減らせると確信します。ぜひ頑張って下さい。

では。