◆感想001:家族に喘息患者をもつ主婦(平成11年7月20日)
特集・小児喘息、興味深く読まさせていただいております。感想というか、ちょっと小児喘息とはかけ離れた意見になるかもしれませんが、よろしくおねがいします。
家族に喘息患者をもつ主婦です。
喘息の原因は「甘え」や「わがまま」とされてきたとすれば、親は心を鬼にして突き放していた部分もあるのではないでしょうか? それから、おかしな言い方かもしれませんが、家族であるからこその暴言というのも私はあると思うのです。もちろん、決して良いことだとは思いませんが、看病しているほうも人間です。どうしても喘息患者を家族に持つと、一般の家庭より家事の量は増えます。掃除に始まり、体に良い食事、寝具の清潔など、「今日はさぼっておこう」というのが、許せない自分。まして、夜中の発作などを考えると「落ち着いていろ」ということのほうが無理な気がするのです。皆さんの体験を読んでおりますと、親の顔色を窺う場面がとても多いように感じるのです。親の不安感やいらだち、疲労感などがそのまま子供に投影されているようです。喘息児のケアとともに、親のケアもあるべきだと思います。
私は、ごく最近まで喫煙者でした。2か月くらい前に、のどに違和感を感じて病院にいきました。
「喫煙者は慢性的に炎症をおこしているから」
と医師に言われました。
「禁煙するべきだ」
ということです。
「どのくらいで炎症はとれるのですか?」
と訊きましたら、
「完全にとれるのは、吸った年月分必要です」
と言われました。医師のいうことは、正しいのだと思います。
ロビーで待っている間、壁にはってあるポスターに目が留まりました。禁煙を促すポスターです。禁煙後、12時間後、あなたの体に変化がおこります。体内の血行がよくなり…云々。これも本当のことだと思います。
幸い私は禁煙に(多分)成功しましたが、「15年後に完全に炎症がとれます」と言われても「がんばろう」とは思えないのが、人間です。喘息の治療も同じではないでしょうか。いきなり「喘息は一生なおりません」というのは、それが本当のことであれば、一見なんでもないような言葉に思えますが、医師の言う言葉ではないと思います。よほどの信頼関係ができた後とか、かなりの配慮があって出されるべき言葉だと思います。
最近、インターネットで諏訪部先生のお考えを知り、大変勇気づけられました。「喘息は必ずなおります」という言葉を聞きたいのです。その言葉は、治療が思うように効いてこないとき、発作で苦しいとき、とりあえず現状を維持さえしていればよいと、後ろ向きな気持ちになったとき、どれほど大きな支えになってくれることでしょう。喘息児をもつ親に、どれほど安らぎを与えてくれるでしょう。そして、その安心感は必ず子供に反映するのではないでしょうか?子供が苦しんでいるとき、きちんと受け止めてあげられるためにもまわりの人間への配慮は不可欠に思われます。正しい治療はもちろんですが、喘息児の心の傷を少なくするためには家族が正しい知識を身につけ、安定した心で子供に接することが重要ではないかと感じました。
>>具合の悪いことをアピールしても経験のない人にはわかってもらえないし、また甘えん坊だと思われるのが関の山です。
甘えん坊でもいいじゃあないですか。具合の悪いとき、不安なとき、甘えたり、もたれかかったりするのが家族であり、友人です。誰だって、機嫌のよいときばかりではありませんから、あなたがして欲しいように上手に聞いてあげることはできないかもしれません。勝手で冷たいように聞こえるかも知れませんが、家族は患者とおなじように苦しいわけではありません。でも、わかってあげられない、助けてあげられない苛立ちというのも大変つらいものです。前向きの姿勢を失ってしまったら、お互いの苦しみの押し付け合いになってしまいます。それだけは、避けたいと思っています。
偉そうなことを書いてしまいました。自己嫌悪です。
(平成11年9月6日)
感想001を書いた家族に喘息患者をもつ主婦です。
我が家の喘息患者は主人です。小児喘息からの移行です。一時期は治まっていたらしいのですが、大学生のときに再発したようです。
私はきっかけがあってこのホームページを知るまで、喘息に関しては全くの無知でした。主人は喘息であることを隠しており、そういった話はほとんどしませんし、長年吸入をするところも私のみえないところでしていました。ですから私も結婚後に主人の喘息のことを知ったのですが、ごく症状の軽いものだと信じていました。
ところが、初めてピークフローを吹いたとき(私が買ってきた)、250〜300くらいだったのでびっくりしたのです。でも、主人は苦しいとか発作とかいう言葉を一切口にしたことがなかったので、不思議に思いました。私も出来れば軽いものであって欲しいと思っていたのですが、毎日の鍛錬(ジョギングをしてるのです)で、苦しさを感じない体になっているだけなのだと言うことが、私にもわかりはじめました。先日は明け方に発作がおきて、確認のためにピークフローを吹いてみたら150しかありませんでした。わたしも150ってどんな呼吸なんだろうと吹いてみたけれども、低すぎてふけませんでした。悲しかったです。
今思えば、結婚して3か月目くらいに夜中にダイニングで明かりもつけずにじっとしている主人をみたことがあります。あれは発作を起こしていたのでしょう。心配して声をかけても、「放っておいてくれ」としか言いませんでした。いまとなっては、何事もなく暮らしてこられたことは、幸運以外のなにものでもなかったんだと、つくづく感じます。
「小児喘息と鍛錬療法」(「診療日記・096」)のへの感想で41歳の女性がかいておられる、
喘息になるのは、精神的に弱い人間 → 弱い人間に見られたくない →喘息のことを周りの人に隠したい → 仕事などで必要以上にがんばってしまう → 通院が不定期になってしまう
といった発想をもってしまったとしたら、結果的には、喘息の治療に対して大きなマイナスになってしまうと思います。
…は、まさにその通りです。おまけに治らないし、どうにもならないと思い込んでいるようです。ですから、吸入ステロイドも私が拝み倒して、「やっていただいている」ような状況です。しかも働き盛りなので、なかなか安静も保てない状況なので一進一退です。もうこれ以上、どうやって強くなるのか教えて欲しいです。吸ステでコントロール出来るのに、しないでもしものことがあったら、主人だけがばかなやつなんでしょうか? そう思い込ませたのは誰なんでしょうか? と思うと、頭に来ます。
「体験談・002」の方には、前回は強く言いすぎたと反省しています。誰にも理解してもらえないだろうと思うほど、辛かったんですね。甘えてはいけないと思って過ごしてこられたのですね。ごめんなさい。この場を借りてお詫びします。