◆体験談027:30歳女性・銀行員(平成12年9月26日)。
初めてこのHPを拝見させていただきました。
とても細かい内容、患者さんの様々な声、とても感動しました。
私は現在30才の銀行員、結婚して5年、まだ子供はいません。
病歴について…
5才の頃、家の新築、その後小学校入学で初めて発作が出ました。A病院の小児科に診察を受け、その後現在まで投薬を受けています。たしか、7、8才頃アレルギーの診察をうけ、スギ、ハウスダスト、ダニに反応がありインタールのスピンヘラ−を1日2回、途中より現在もエアロゾルをしています。内服薬は、確か12才頃より現在までザジデン1日2錠、テオドールよりスロービッドへ移行、一日3錠です。軽い発作時は現在メプチンキッドエアーを持っています。小学5年の初潮までは、入院もなく、夜中の発作でA病院に駆け込むのが2、3ヶ月に一度くらいだったと思います。
5、6年から中学3年までは、生理前後に風邪をひき、(ほとんど毎月のときもあった)その後発作がでて1年に1回位入院する感じでした。小学6年の3月、まさに明日卒業式という時入院していて、そのときいままでで一番強い注射をしてもらい、翌日なんとか式に出席したことがあります。唇が紫になりふるえが出て、ステロイドだったのかもしれません。そのとき説明をうけたかどうか憶えていませんが。15才からはメプチンタイプの携帯吸入で、走ったとき、食べ過ぎた時、風邪で発作が出たりした時たいていは治まっていました。
運動、体力維持について…
もともと運動より家の中で読書やピアノが好きだったからか、学生時代は体育は通信簿で最低ラインばかり。でも水泳とスキーだけは発作がでないので走るよりは好き、という程度。走りたくないんです。高校卒業後、果たして会社勤めできるか心配でしたが、なんとかいままで勤めています。銀行ですが、いわゆる外回りは経験がなく内部の担当ばかりですが、残業はおおく、運動で体力維持はできず、土日に睡眠不足を解消するのがよくあるパターン。ひとりっこで喘息で、お姫さまで育ってしまい、5年前に結婚し○○を離れ△△にきて親の協力なしでガンバルなんてやってみたものの、家事は後回し。幸い主人は一人暮らしの経験があり、協力してくれますが、彼も不規則な勤務で限界があります。炊事、掃除もままならない状態が続いています。○○は空っ風による砂ぼこりがおおく、北にはスギがたくさんあります。△△にきてからは、空気もよく、家事ができない、ほこりがある割に調子がいいのです。薬は、幸い理解ある先生方のおかげでずっと小児科で、△△にきてからは度々通えないので2週間分を母にもらってきて送ってもらっています。
自分なりの努力…
10年くらい前から薬を減らす相談はしていましたが、5年程前にピークフローメーターの説明をうけて購入したものの、まだ認識不足で全然使いませんでした。その時は吸入ステロイドの説明は受けませんでした。妊娠についてもその頃の説明は大丈夫、副作用や子供への影響はさほど心配しなくてよい、くらいだったと思います。その頃は自分の中で歯の矯正をしたい気持ちが強く、妊娠はまだいいナと思っていました。なぜ歯の矯正かというと、歯並びも悪く、肩凝りや噛みしめ、顎関節症になりそうな舌の緊張など、仕事でも客商売ですからにっこりきれいな歯で笑いたいと思っていたことと、少しでもアレルギー、喘息以外の不調をとりされれば、というきもちがあったからです。で、3年前に決断して、今ではワイヤーもとれ、定着させるため歯にカバーをしています。
体調も肩の奥の凝りがとれ、舌の緊張もなくやって良かったと思っています。喘息以外の不調といえば、むくみ、冷え性、リンパの流れが悪い、姿勢が悪い(発作でわるくなった?)なども気になります。いろいろな原因があると思いますが、いろいろ考えた末、アロマテラピーで少し良くなっていると思います。入浴の時、就寝の時に、ラベンダー、ユーカリプタス、ローズマリー、ゼラニウムなどを少しずつ使っています。マッサージも、とてもリンパ、むくみによいのですが、サロンに出かけるのは時間もお金もそんなにありませんので、とてもつらいときにたまに行ったり、脚のむくみは自分でたまにやってみたりしています。ユーカリ、ラベンダーは喘息予防にもいいと専門書にもありますし、私自身も実感できています。のどにいいのです。もう少し勉強して将来の転職も視野に入れられれば、と考えたりもしています。
最近の体調…
1年に1、2回風邪をひいてしまう。その時は近所の胃腸科外科で注射をしてもらうのですぐ治る。会社を休めない、迷惑かけない様にと思っても喘息までいってしまったとき、あるときいつもと違う病院へかけこみ、ステロイド入りの点滴をしてもらった。ステロイドは恐いという頭があったのでちょっとショックを受けた。自分では調子がいいつもりでも強い薬を使ってしまい喘息悪化が頭をよぎったが、そのあとはすぐよくなり発作もでなく特に変わらなかった。その後オレンジページという雑誌で吸入ステロイドを知り自分の知識が少し遅れている事がわかる。
1年前、△△のとなりの□□の支店に転勤。製紙の街で毎日煙突からけむりがでていて空気が悪くショック。通勤時間がいままで20〜30分で歩いても帰れる距離が、バス電車乗り継ぎ、徒歩10分で計一時間かかり、それもショック。緊張して秋口だったのもあり転勤早々風邪をひき、発作がでなかったからいいかと思ったら、肺炎の手前の気管支炎になっていた。1週間休んでしまったが、気持ちの切り替えができて、徒歩10分往復を運動不足解消にあてようと考えた。
冬になり、調子がいい時は家から△△駅は自転車にした。帰りが上り坂でダイエットまではいかないが多少は良い感じ。今年の夏、とても疲れる日々で、自転車がこげなくなり、駅で足がもつれ捻挫して剥離骨折した。シップをもらい1ヶ月程毎日貼っていたが、インドメタシンが喘息によくないと書いてあり心配になる。そういえば背中が重いような感じで少し喘息かも…メプチンすれば普通になる。
9月になり足も良くなったが運動不足と夏の疲れでついに先日風邪をひいた。近所の医者でまた注射、でも翌日22日の午後に発作のまま仕事する。△△は夜間救急センターがあり、吸入をして、血管注射をしたらよくなったが、動悸がものすごくなり1時間くらいベッドで安静にした後車を運転して帰る。動悸は夜中治らず、また発作になり眠れず。昨日祝日でべつの当直医へ。その先生は漢方を使う方で診察の後数種類の粉の漢方と錠剤をその場で飲んで点滴。いつもと違うので吸入みたいにすぐよくならないがだいぶ楽になったが、動悸と背中の痛みが治らない。先生が心臓が弱っていると言ってせなかにシールを貼ってくれた。もらった薬で咳も動悸も発作もなくなったが、動くと脈がはやい。早速おくすり110番のサイトで、もらった薬をしらべたら、コロナモールが心臓の薬だった。背中のシールもそうだった。ショック。
※その後、追加で小児喘息について体験談を投稿下さいましたので紹介いたします。
では、子供の頃の体験を追加したいと思います。
小学2、3年で、毎週水曜午後に早退して、減感作療法をはじめました。ハウスダスト、ダニ、スギの注射をあまり疑問に思う事なくやっていました。両親は、真面目な性格で、先生を信頼してせっせと通っていました。
その頃はいつまで通わなきゃ治らないんだ、とか全然私自身思ってなくて、親達もそんな話を私のいないところで言っていたとは思えず、その時はその治療が最善策だったと思います。発作のときは、夜間救急室や病院にすぐ行きましたが、気分転換ときれいな空気を吸わせるため父親が車で家の周辺をただ走らせてみたり、母親もずっと背中をさすってくれたり、発作になっても心細いことはありませんでした。
そういえば、その頃通院している子供たちは、母親達がよく話をしていて、あの子は入院したりして私よりひどいんだとか、どういう症状で点滴したとか、情報交換して、子供だったから親と通院することで気持ちを共有できる貴重な場所にいたのかなとも思います。少なくとも病院では喘息仲間がいる、という。
でも、お友達の家にお誕生日会といっておよばれしても、発作が出て、人生ゲームの途中で帰ったり、あまり思うように友達と遊べなかった思い出があります。
それは高校時代でも親がまだ心配して、お泊まりはなんと結婚まで厳禁で(これは貞操とか! ほかの理由もあると思うが)、今思えば反抗しても良かったか、でもそうしてもこころを乱す事で最終的に発作がでたりするのでは、との自制心もあったり複雑な思いがありました。
5年生になり、鼓笛隊のトランペットを腹式呼吸でいいんじゃないか、という理由で2年間やってました。それでも、6年生まで注射をしていたから、いままで発作が続いてしまったか、トランペットがいけないかとずいぶん後になって思ったりしたこともありました。やっぱり、体育の時間がゆううつで、がまんせずよく休んで見学していたし、多少の甘えた気持ちでいたけど、授業の途中で苦しくて早退した事はなかったです。
そして11才ころ初入院して今までと違う嫌な気分を味わいました。小児科のベッドが必ず空いているとは限らず内科の個室に最初ははいって、内科の先生にもう小児科の年令でないだろうと言われた事があります。そのことを後日小児科外来ではなしたところ、別にこちらでも構わないと言って下さり、内科の待ち時間もみていて長いようでいやだったし、第一そんなことを言う内科の先生がきらいで、せっせと通うのが親子とも好きなのかもしれませんが、今も場違いな感じでも気にせず(そんなに今は通院できませんが)小児科に行っています。