◆鍛錬療法002:激論! 鍛錬療法。(PFセンターの書き込みから)(平成12年4月27日)

平成12年4月17日更新の体験記「001:18歳女性・医学生(2000/4/17・追記)」の中で「鍛錬療法」についての記載があり、PFセンターで激論が交わされました。以下に時系列で紹介します。


●Aさん:感想文

001:18歳女性・医学生(2000/4/17・追記)」は、現在18歳の方が小学生だったころの体験ですからそんなに昔じゃありませんよね…。そこには、「皮膚の鍛練しよう」「鍛練しよう」と書かれていました。医師はいつも「鍛練していないからいつまでたっても喘息が治らないのだ」と思っていたようでした。まず鍛練という単語がなんだかよくわからないです。そんでもって皮膚を鍛練するとなんで気管支の炎症がよくなんだか…。ましてやパンツを洗うのと喘息とどう関係があるんやら。いや、両者の関係を理解できるような説明があれば納得もできます。そりゃもうフロイド先生がいうように、地球の核がレモネードでできてるという説だってその証拠が立派に提示されりゃ認めたくなくたって認めざるをえない。ということです。でもそういう説明なしでいいならなんだっていえちゃいます。あんたが喘息なのは悪霊が憑いてるからだとかちゃんと先祖を供養してないからだとか。もちろん多くの人はそんなこと信じやしません。だからお医者さんが鍛練鍛練鍛練鍛練鍛練・あさはらたんれーんなんて歌っちゃったら、多くの人は「お医者さんもオズの魔法使いの仲間に違いない」と思うはずです。アヤシゲな民間療法と医学的な療法の違いは医師免許の有無でなく「やりかた」じゃないでしょうか。お医者さんがアヤシゲな民間療法の「やりかた」を採るならアヤシゲな民間療法にも保険が適用されなきゃいけないし、これが適用されないならアヤシゲな民間療法のやりかたを採るお医者さんにも適用されちゃいかんような気がせんでもありません。いうまでもないですが、アヤシゲな民間療法のやりかたというのは説明もなしに有無をいわせず強制させる類です。

●B医師:鍛錬療法の根拠

乾布摩擦や運動によってPF値が増加する(微々たる増加ですが…)というデータはあることはあるのです。しかし、問題は脱落者がいても含まれていないこと、それになぜ薬物治療を選択してはいけないのかが理解できないですね。運動療法で冠血流が増加するというデータが出れば狭心症の方も運動療法を勧められるのでしょうか? とすればこれはとても危険なことです。喘息も(治療を要する)病気だと言う認識がそこにはないのが悲しいですね。

●Aさん:鍛錬療法の根拠

ご説明有り難うございます。ときに微々たるものだが効果がなくもないこれらの療法は小児喘息の場合に限られるのでしょうか? というのも大人の喘息患者は乾布摩擦しろだのパンツを洗えだのいわれないような気がせんでもないからです。なぜ子供ばかりが…というのが大きな疑問なんです。

●Cさん:鍛練のこと…

私が子供の頃はまだ鍛練がブームでした。乾布摩擦や冷水摩擦で皮膚の鍛練をすると、気管支の粘膜が丈夫になるとか、スポーツをすると呼吸器も身体も丈夫になるから喘息が治るのだとか、喘息体操をしたり腹式呼吸の練習をすることで正しい呼吸が身につくのだとか、鍛練をすることによって生活にめりはりがつくのだ、というような理論をいろいろ聞かされました。B病院の医師は鍛練が本当に大好きで、いつも鍛練の話ばかりしていました。診察のときには、「何か鍛練はしてるの?」と必ず訊かれ、「特にしていません」と答えると、「鍛練しなさい。乾布摩擦などをしなさい」と言われました。ある時(小学校高学年)発作を起こして病院へいくと、またまた鍛練の話が出ました。その時に同時に「もっときちんとした生活をしなさい。お手伝いとかちゃんとやってる? 僕の子供も小学校5年だけどよくやってくれるよ。薬だけでは喘息は治らないんだ。鍛練をしなくちゃだめだ。鍛練をしないと、治ったと思ってもまたこうやって発作を繰り返してしまうんだよ」その後もお説教は長々と続き、最後に「パンツぐらい自分で洗いなさい」と言いました。つまりは私が怠けているから、喘息が治らないのだ、そう言いたかったのでしょう。その病院の小児科では「小児科だより」というのを定期的に発行していました。そこにはこんなことが書いてありました。「A君は小学校5年生。最近喘息の発作が起こっておらず、すっかり治ったものと思っていたところ、また久しぶりに発作を起こしてしまいました。どうしてでしょう? それは、A君が鍛練をしていなかったからです」そのあと延々と鍛練の重要性が語られていました。ほんの8年ほど前のことですからそんなに昔のことではないですね…。いまだにこの病院の先生は鍛練が大好きなんです。鍛練することで本当に小児喘息が良くなるなら文句はないですが、実際はそうではありません。私の知人(入院したときに同じ部屋になった)で、「鍛練」という名のもと、陸上部で頑張っている人がいました。陸上部でやっていけるくらいなのだから、と周りの人はその人の喘息はすっかり良くなったものと思いこんでいました。しかし、高校3年生の夏、大発作を起こして3ヶ月も入院してしまったそうです。「そんなに酷い喘息なのに、陸上なんかやって大丈夫だったの?」と訊いたところ、「ゼイゼイいいながら頑張って走っていたんだよ」とのことでした…。

(註:Cさんは001の方本人です)

●Aさん:鍛練か…

私も鍛練鍛練甘えるな!で育ちましたから、性格だけは図々しくなっちゃいました。けど身体のほうは…。

●Cさん:鍛練

図々しくなんてないですよ。きっと幼い頃からすごくしっかりしていらっしゃったのでしょう。鍛練で精神力はつくかもしれませんが、喘息そのものは治らないどころか、余計に身体が辛くなりますよね。しかもどうして子供ばかり…。私も子供の頃、そう思っていました。当時の喘息に関する本には「喘息の子は呼吸器がまだ未発達である。だからこれから育てなくてはならない。鍛えないと、このつまづきを一生ひきずってしまう」とか「こういう呼吸器のつまづきをつくるような、怠惰な生活習慣を改めなくてはならない」とか書いてありました。「朝、毎日散歩をすれば就学前の子供の喘息は治ってしまう」とも書かれていました。でも、私の場合、散歩なんかしたら、疲れてしまって発作を起こしたり、風邪を引いたりしてしまって逆効果でした。

●Dさん:喘息と鍛錬…

鍛錬…この言葉小児喘息の人は特に言われていたと思います。今でも言われている子どももいます。確かに成人喘息ではそういういい方はされませんね。でも、実際は同じ事を思われているのですよ。喘息は、怠け病的な…もっと良く運動して、身体を鍛えて…みたいな…そして、もう一つ、鍛錬とともに言われていたのが「母原病じゃない?」これは、いろいろな本も出ましたから、知っている方もいるのではないかと思います。この本が出たために、母親達はよけいに自分のせいだと、自分が甘やかしすぎたせいだと思い、子ども達に必死で、怠けさせないようにしてきた部分も大きいのです。そして、今でも、その考え方から、抜けられないでいます。周りに喘息の正しい理解が広まっていないために、幼稚園でも、保育園でも小学校でも、下手をすると同じ様な言われ方をされ、自信を無くしてしまうのです。当然、大人の喘息にもそういう見方が当てはめられるのですよ…悲しいですね。子どもも、大人も、母親もかわいそうです。だからこそ、少しでも、喘息(喘息に限らず、慢性疾患の病気は特に)に対する一般の人の正しい理解を、広めて行かなくてはと思います。もっともっとこちらも努力しなくてはいけませんね。

●Eさん:鍛練について…

小生高校生の時に剣道部に入部しておりました。当時よく言われた言葉に「鍛練」という言葉があります。卒業後小学生に指導するときも使ったりもしておりました。もちろん15kgの防具に面を付けて動きまわる競技(剣技)ですから喘息患者である今の私には出来ようもありませんが、この当時の技を練り身体を鍛えた事が卒業後に役立ったという思いが今でもあります。これはあくまで剣の技という意味においてです。確かに小学生当時から私は長年肺疾患を患っていました。半年間パスを飲み続けた経験もありました。(当時結核性肺門リンパ腺とか言われたそうですが…)小学校3年・4年・5年と私は平然と体育を休みましたよ。小学校6年間で学校のプールで泳いだことは1回しかありません。他は全て見学です。そんな小学生生活だったからこそ元気になった高校生時代は自分の意志で剣道部に入部したんです。かなりしごかれもしたけど良い意味での鍛練ができたと思います。鍛練…。「きたえねる」と書きますよね。技を練り心身を鍛える。良い言葉です。でもそれは健康な身体があってこそです。喘息患者にどんな技を練ると言われるか? 病気の人に身体を鍛えろ言うこと自体無茶苦茶なことです。日本古来の古武術に広く使われるこの言葉が何ゆえに喘息患者に向けて使われるのか? そのほうが私には理解に苦しむところです。錬士の先生にも範士の先生にも稽古を何度もつけていただきましたが、もちろん「パンツを洗うことが鍛練」などと言われたことはありません。

●Hさん:引き続き「鍛錬」

いつもこの話題になるとやりきれない気持ちになります。私は自分の経験もあるので、息子達に「鍛錬」をさせることはありません。「鍛錬」という形で、身体を鍛えたり自律神経の働きを高める事を否定はしませんが、それが治療だとは思っていないからです。しかし、その事を取り違えている親は周りにたくさんいます。風邪をひいて(喘息で)熱を出している(発作をおこしている)子供に、治療だと言って(あるいは「これをしないと治らないよ」と脅して)水浴び(鍛錬)をさせる親はいない筈なのに、喘息に関してはまかり通っている。大人ならば、治療法の選択は自己責任と言う事で、私もしつこく勧めませんが、具合の悪い子供を見ると黙っている訳にはいきません。それでも、この手の親御さんには言葉を尽くしてもなかなかわかってもらえません。いや、わかって貰えたためしがない。反対に「薬を多用していると自己治癒力が落ちて病気が治らなくなる」なんて説教されるのがおちです。正しい知識と理解が得られれば、おのずと治療法は定まってくると思うのですが、何故彼女達にはそれがわからないのでしょう? 大切な事は、子供が笑顔で暮らせる事が一番だと思うのです。健康であればいう事はないけれど、たとえ病気があったとしても、大切な子供時代をその子なりに楽しく過ごさせてあげるのが親の務めではないかと思うのですが…。もし「鍛錬」する元気があったら、外で楽しく遊んだほうが余程効果があると思います。長男を見ていると本当にそう思います。

●Aさん:さらに鍛練

Eさんへ。

>>日本古来の古武術に広く使われるこの言葉が何ゆえに喘息患者に向けて使われるのか?

反対に「薬を多用していると自己治癒力が落ちて病気が治らなくなる」なんて説教されるのがおちです。医学的に自己治癒力云々はさっぱりわかりませんが、自分が喘息になったときそんな悠長なこといってられるのか!と思います。(吐いた唾飲むなよー。ってなもんです)Eさんいうところの武士道的精神性のハキチガイと西洋の「自然が一番」みたいな教育論的思想がごっちゃになって鍛練主義ができたのかな? もしそうなら鍛練を強制される小児喘息の子供は強者(大人)の身勝手な思い込みの犠牲者だと思います。これだけははっきりいえますが、ツライだけで効果の薄いワリにあわない鍛練療法なるものを強制された子供は大人が偉そうに“やれ”と命令する物事全般に対して不信感を抱き、その価値を過小評価するようになります。少なくても私はそんなんなっちゃいました。逆アダルトチルドレンでございます。

●Aさん:鍛練療法の心得

親は何もしないでおいて、子供にばかり押し付けるのはフェアではありません。子供だって、何故自分ばかり…と思います。そんなのはぜんぜん説得力がありません。乾布摩擦させるなら親も一緒にやってあげてください。早朝マラソンも一緒に走るべきです。子供が発作を起こす可能性もありますからね。パンツも一緒に洗いましょう。水泳も一緒にしてあげてください。親の健康にも良いです。そしてもちろん、喘息じゃない親御さんはマウスピースを噛んだ上で全部やってくださいね。さあ。根性の見せどころですよ!はりきっていこう!

●Fさん:それでは我が家では

それでは我が家では親子で朝のランニングとパンツ洗いをすれば良いのですね(苦笑)。息子は鍛錬などしていません。ここ2年入院していないし、フルタイド導入ご半年間は発作もありません。末の子ですから今でも思いっきり甘えさせて育っています。苦しいときにまだがんばれ!!とはっぱをかけてどうしますか? 喘息の鍛錬に限らず、苦しいことを受け入れることが大切だと思いますけれど。って私、今日は苦しい(^_^;

●Eさん:しつけ・幼児虐待・鍛練・自己満足・世間体

先日TVドラマで「永遠の仔」の第2話を見たんですけど…。しつけと幼児虐待が混沌としていませんか? あのドラマに出てくるように変な形でトラウマとして残ることがあると思うと恐ろしいですよね…。聞きかじりで現在の鍛錬療法がどのような治療法なのか実際のところ詳しくは知りませんが(もっと「寄稿集」で勉強します)、時期が時期だけに(幼児という)大人になってからの人間形成にどのような影響が及ぶのか考えても恐い気がします。親の自己満足や世間体が根底にあるのなら絶対するべきではないと思うし、幼少から病弱だった児童が自ら体を鍛えたいと考えるのなら後押ししたいし。結局子供の主体性をうまくサポートしてあげるのが親の務めであって、親の主体性に子供が犠牲になってしまうとこれは悲劇としか言えませんね。あまり上手く書けませんでした。ゴメンナサイ。

●Fさん:

さっき職場の喘息外来を受診してきました。「うーん重いねぇ。これ以上なんかしてることある??」とおっしゃるのでPFのことを話しました。それはそれで継続して診ていただくことになったのですが、「今以上なんかするとしたら運動かな」の助言に目をむきました。「今は苦しいのにできません!!」と答えましたが。はぁ…ここでも鍛錬か…とどっと疲れました。重いとか重症喘息とかわかっちゃいるけど言われたくない言葉です。

●Aさん:親は何故鍛練療法を選ぶか?

その理由にはマスコミの粗雑な報道も関係していると思います。1998年末にXX新聞にて「喘息の吸入薬の売り上げ減少で喘息死も減少」などという記事がでました。喘息の吸入薬とはみなさんご存知のベロテックのことですが、そんなことは一切書かれていませんでした。フェノテロール製剤とは書かれてましたが、それがベロテックのことだとわかる読者はいったい何人いたことでしょう。フェノテロール製剤がなんだかわからなきゃ喘息の吸入薬なんて表現はすべてに該当しちゃいます。ベコタイドもアルデシンも喘息の吸入薬です。その結果親御さんがジッパヒトカラゲに喘息の吸入薬は危険だ。と思ったとしても無理はありません。(…略…)情報発信サイドが情報受信サイドのことをまったく考えないで情報発信するとパニックすら生じます。所沢のダイオキシン騒ぎがおこったのはその後のことでした。でもっておそらくXXの言い分は「アレは医学論争の記事だ」というものでしょう。少なくても一方の当事者である薬害OPはそんなこといってました。商品名をださないのは医学論争だから(?)ムシズの走る詭弁ですわ。仮にXXがそんなこといったとするなら、「オマエんとこはあれか。読者の健康より大企業の利益を優先すんのか。スポンサーになるかもしんねえしな(笑)」といっちゃいます。○○もだいぶ遅れてそんなような記事書いてましたっけ。なにが社会の○器だ…。百害あって一利なしの粗雑な情報しか発信できないなら情報発信なんかやめちまえ!といいたいです。まあとにかくマスコミのせいで、親は断腸の思いで愛する我が子を養護学校にいれ、子供はつらいつらい鍛練の毎日を送っているのかもしれません。一方マスコミは、そんなことになってるかもしれない。という自覚すらないであろうことが本当に腹立たしいですよ。自覚してやってんなら畜生以下ですけどね(笑)。

●Fさん:無知だからです

親が鍛錬を選ぶのは無知だからだと思います。自分や自分の子供の病気について学ぼうという気持ちがあるなら、無知のまま鍛錬に走ることはないはずです。親の無知は誰のせいか?? 責任の一端はマスコミにもあると思うし、医療関係者にもあると思います。親自身にもそのまた親にも責任はあります。誰が悪いかという議論をしてもらちがあかないですね。今現在苦しんでいる子供たちがいることを思うと涙が出そうになります。今日私は不調な上に医師から運動を勧められました。子供の頃にこんな思いをしたとしたら喘息を呪い、恨み、隠し通して生きることを選ぶでしょう。子供の頃から喘息と共存してきて、それでもなおこういう場所に出てこられる方を本当に立派だと敬う気持ちでいっぱいです。また励まされました。本当にみなさんありがとう。

●Gさん:鍛錬について

私の無知を紹介します。インターネットが出来ない頃喘息についての頼りは本でした。図書館で喘息に関する本を全て借りて読みました。大部分が鍛錬について記載されており、乾布摩擦、冷水浴、水泳、薄着が中心でしたが冷水浴以外は実行していました。当時は喘息が慢性疾患という認識が薄く、「早く治してあげたい」という気持ちで私自身があせっていたと思います。3人の子供を連れて毎日のように、車で30分の隣町にある温水プールへ通いました。夜間に小発作があっても日中元気なら連れて行ってました。喘息のコントロールが出来ている状態であればスイミングも良いと思いますが、何よりも吸入ステロイドを正しい方法できっちりと吸入出来るようになったことが発作のない状態への近道であったと遠回りした現在は強く感じます。インターネットで最新の情報を得られる方はラッキーですが、子どもが『喘息』と診断されて親御さんは喘息に関する本を参考にすると思います。また、病院に置かれている製薬会社が発行している小冊子から知識を得ると思います。その頼りの本が古い知識のまま改訂されていなかったり、営利がからんだ内容であったりしても、読まれた方はその内容を信じるかもしれません。妊娠中からアレルギーについての知識を母親学級などでもっと普及できないかと思います。子どもは体の調子が良いと自分で動き回ります。強制して運動をさせるのは子どもの自由を奪うことになり、辛い体験は深い傷として残ると思うと胸が痛みます。

●Hさん:プールと言えば

プールと言えば子供の頃通わされていました。(「通っていました」でないところがミソ)「喘息と言えば水泳」って感じで、今でもお約束ですよね。でも、プールに行くとあの塩素の臭いや「モワッ」とした空気のせいで喉が苦しくて、気分が悪くなっていました。その上、親から引き離されて不安でグズグズしていると、コーチが「勇気を出せー!」とか何とか言って、私を水に放り込みました。母には「泣いてるのはアンタ一人じゃないの!お母さん顔から火が出るほど恥ずかしかったわ!」と責められ、嫌な思い出しか残っていません。結局すぐやめましたけどね。私の場合、母が気まぐれで忍耐強くなかったので被害が最小限で抑えられたのでしょう(汗)。

★鍛練療法(I先生)…番外特別コメント

冷水浴や乾布まさつなどがぜんそくに有効と言われています。明確な証拠はないのですが、特に日本では昔から経験的に行われていました。確かに皮膚にいっている自律神経を刺激するので自律神経の機能を高める訓練にはなると思います。自律神経はさまざまな変化に対して体の状態を調節する役目を果たしていますから、気管支の太さを自律神経が調節していることから考えても意味がありそうです。私はそれ自体を否定するつもりはないのですが、問題なのは往々にして、鍛練療法が薬を使わず鍛えて治すという、昔の方針とドッキングしやすいことです。がまんの治療と結びついた鍛練療法は百害あって一利無し。またそれが楽しくなければ病気のために苦しい思いをしているという被害者的なイメージが子どもに植え付けられることも心配です。もちろん楽しければ親子で取り組んでもいいですね。ただ、薬物療法を使ってでもいいからきちんとコントロールをしてやれば、子どもは汗をかきながら運動をしようとします。汗をかくこと、息をはずませて運動することによって、十分鍛練療法の目的は達成できるはずです。


◆鍛錬療法002:激論! 鍛錬療法(パート2)。(PFセンターの書き込みから)(平成12年5月11日)

●Jさん:鍛錬療法

ある方からメールを頂いたのですが、

「今度、山登りの計画が持ち上がりました。これは、病院の小児喘息外来が企画するサマ−キャンプの下見で、今年私はボランティア参加させてもらうことになってます。鍛錬療法がかなりきつく残っているせいか、山登りにランニングの企画があるそうで、その下見に参加します。実行委員会等にも参加しているのですが、この鍛錬療法については、かなり議論しています。体力をつけることも、毎朝ランニングする事も賛成ですし、山登りはぜひやりたいけど、サマ−キャンプを、親からの自立、過保護の解消、鍛錬療法…、と定義しているところに私はかなり抵抗があります。小児喘息患者として、色々意見は言わせてもらっていますが…」

このような内容で、まだ病院が積極的に鍛錬療法を取り入れてるみたいです。

●Aさん:確かに

鍛錬療法によって、「親からの自立、過保護の解消」といった効果は得られると思います。過度に共依存的な親子関係の改善には効果的な療法かもしれませんね。しかし、なにゆえ病院の小児喘息外来がヒトサマの親子関係に介入しようとなさるのでしょうか? 小児喘息はイビツな親子関係によってもたらされる心身症なんでしょうか? やはり鍛錬療法が支持される理由は“薬を使わない”という点でしょうね。薬を使わなきゃ副作用の心配もありません。つまり鍛錬療法とは「薬に対する恐怖」の裏返しかもしれません。(薬物恐怖症の症状が鍛錬療法といえるかも)大人の喘息患者が薬物恐怖症に罹って自ら鍛錬療法に走ったとしても全然構わないというかしかたないです。がんばってね。だけど薬物恐怖症の親が喘息の子供に鍛錬を強いているなら問題です。そんなのは宗教上の理由で輸血を拒んで子供を死なせた親と同じ類だと思います。

鍛錬療法のもたらす副作用についても議論なさってくださいね。>Jさん

●Aさん:鍛錬療法を議論する際の資料

診療日記」の「110:呼吸困難と低酸素とはまったく別もの。(平成12年4月27日)

→従って、気道閉塞を伴う喘息の患者さんは、安静にしていると一見正常に見えるが、ちょっと動くと酸素が足りなくなってしまい、すぐ息が切れてしまうのです。これは何も発作が起きていなくても起こる現象なのです。「がんばれ!」なんて励ましても酸素が足りないんだからしかたない。根性で酸素が補えりゃ宇宙服はいりません

●Jさん:鍛錬療法

以前、私が喘息の発作が出る前に息子に「体を鍛えよ」みたいな事をしてたような(?)、そこまではいかなかったのですが、Aさんや最近の討論に耳が痛いです。

●Kさん:鍛練

鍛練「療法」で苦労した人はもちろん、今だに苦労させられている子がいるのはとんでもないことです。それにしても「根性で酸素が補えるなら宇宙服はいらない!」→こういう表現大好きです。

●Lさん:鍛錬療法と思春期の喘息

鍛錬療法の件、小児喘息の体験がなく、子供もいない私には、本当のところ、よく解らない面もあります。

でも、小児喘息を経験なさった方が、小児期に喘息に対する適切な治療や指導を受けなかったために、喘息に対する、間違った、ネガティブなイメージを持ってしまうというケースが多いように、感じています。

精神的に弱いところがあるから、喘息になる
体を鍛えれば、喘息はよくなる
少しくらいの発作は、我慢しなければならない
社会で生活していく上で、喘息のことは、隠さないと…
病院にいっても、うるさいだけで…よくならない

喘息に対して、こんなイメージが、思春期や青年期の方々の中にあるとしたら…、近頃問題になっている、思春期や青年期の喘息の問題、不定期な受診、不適切な治療、そして、とっても悲しい結末と、無関係ではないようにも思うのですが…考えすぎでしょうか?

その意味でも、Mさんが引用してくださったある内科の先生の文献の一節、とっても迫力がありました。

臨床効力比の高いフルチカゾンなどを用いて完全にコントロールしてしまうことが大切である。完全にコントロールしてコンプライアンスを良好に保ち、その良好な状態が長く続くことにより、かなり重症な患者も症状のない良好な患者にリバースすることが出来うると考えられる…。患者自身がその容量範囲内において増悪しないように治療や行動などを努力させる患者教育が必要である。

小児喘息のお子さん、特に思春期になりかけている方に、

喘息は、きちんとお薬を使うとコントロールできる病気なんだよ。発作の時も、早め治療することが、大切なんだよ。症状のコントロールがうまくいったら、好きなスポーツもできるよ。でも、あんまり頑張りすぎないでね!!

というメッセージを伝えることの大切さを、ヒシヒシと感じています。

PS:喘息についての文献を読んでいたら、小児科の先生の次のようなコメントがありました。

小児、特に低年齢ほど、症状の変化が激しく、客観的指標が得られにくいため、病態生理は不明な点が多い。また、思春期や青年期での病院の受診率が著しく低くなるために、知見が意外に少ない。喘息における乳児〜老人までの共通性をもった病態生理を述べるためには、まずは非侵襲的検査の進歩と開発、思春期前後の喘息の病態生理の解明が必要である。

このコメントをよんで、憤りに近いものを感じてしまいました。小児科領域の先生方は、<思春期〜青年期の喘息の問題>をどのように捉えて、いらっしゃるのでしょうか???

●Cさん:思春期喘息

私も小学校高学年ぐらいになると医師が精神論とか鍛練の話ばかり持ち出すので、頭にくると同時に「どうでもいいや」みたいな気持ちが出てきていました。Lさんが指摘なさっているような経験をしてきたのです。鍛練だとか精神力だとか言わないで、医師がちゃんとした治療指針を見せてくだされば、コントロールしていけるということを教えてくだされば、思春期だろうと青年期だろうとちゃんと治療に取り組むと思います。私は毎年この時期に風邪をひいてゼイゼイいいまくっておりましたが、「これはしょうがないものなんだ」みたいに考えていました。でも、今年、フルタイドを吸っていたら、この時期に風邪をひいてもゼイゼイいわないし、肺機能もそんなに落ちませんでした。小児科の医師が鍛練鍛練いわないでもっとちゃんとした治療軌道に乗せていてくれたら…と思ってしまいます。

●Eさん:喘息ではありませんが…。

前にも書きましたが、私は小学生の頃肺に関する病気を患っていました。週に1〜2回は通院して小学校3年から5年までの体育はほとんど見学していました。20年前から抗生物質を飲みつづけていたことには今更ながら驚きを感じます。当時は○○に住んでいましたので現在との比較は出来ませんし、もしあの時に肺疾患(病院によって病名は様々だったようです)喘息と診断されていたら、鍛錬療法の荒波に放り込まれていたのかもしれません。(そう思えるくらい症状は似ていたような気がします)もともと母親も母方の祖母も喘息持ちでしたからあるいは精神療法には走らなかったかも知れませんけどね…。いずれにせよ幼少の時期に呼吸が普通に出来ない経験を持つ事自体精神教育上良い訳はないんですから、ましてやその症状に対してまでも精神論に原因を求めることは言語道断と言えると思います。心配しなくとも幼少の頃から虚弱でも時期がくれば自ら強くなりたいと願うようになります。私もそうして自分の意志で鍛えてきました。親や医師に鍛錬鍛錬と言われて何が鍛錬になりましょうや…。大体鍛錬療法というネーミング自体どこかピントがずれているように思えてなりません。自律神経がとかアレルギー体質からの改善とかが目的なら別の呼び方で呼んでもらいたいと思います。それだけでも何か勘違いして無理に走らせたり泳がせたりが減るような気がするのですが…。

●Fさん:

私も今無理矢理水泳勧められてる。そんな時間がどこにあるのか(?)も疑問だし、正直あんたがやってみろ!! と思ってる。