2. ベロテックの吸いすぎはなぜ危険か?

ベロテックに関するマスコミの一連の報道で、患者さんの中にはベロテックに対するさまざまな混乱があるようです。ここで、ベロテックが発作を止める仕組みとその乱用がなぜ危険かについてできるだけわかりやすく解説しました。

(1)ベロテックが喘息発作を止める仕組みについて
人間の体の中には、自分の意志で動かすことができる骨格筋の他に、自分の意志で動かすことのできない“平滑筋”と呼ばれる筋肉があります。これら平滑筋は気管支や心臓など全身に分布し、交感神経・副交感神経と呼ばれる自律神経の支配を受けており、ストレスや緊張時には交感神経が作動し、安らいだ状態では副交感神経が主に作動するとされています。

喘息の発作の際に収縮する気管支平滑筋も、交感神経と副交感神経の支配を受けており、おのおの神経末端からアドレナリンとアセチルコリンが分泌され、気管支平滑筋の弛緩と収縮が司られています。その際、アドレナリンは気管支平滑筋上のβ2受容体(=リセプター)にアセチルコリンはアセチルコリン・リセプターに特異的に結合することで作用が発揮されます。これを“鍵と鍵穴の関係”と呼び、他の物質などによって容易に気管支が収縮したり拡張したりしないように特異的に調節されているのです。

ところが、心臓を収縮させる心筋細胞上にも両方の受容体があり、困ったことにアドレナリンとアセチルコリンは気管支平滑筋とは全く逆の作用をしてしまうのです。すなわちアドレナリンは心筋細胞のβ1リセプター(気管支平滑筋のβ2リセプターとは多少異なる構造をしている)に作用し心臓を収縮させ、アセチルコリンはアセチルコリン・リセプターに作用し心筋細胞を弛緩させます。すなわち、アドレナリンは一方では気管支を広げ、他方では心臓を刺激して心拍数を増加させる(動悸を引き起こす)のです。

問題のベロテックは、このアドレナリンに似た構造を持っているため、気管支平滑筋が収縮している喘息発作時に投与されると収縮している気管支平滑筋を弛緩させ発作を解除してくれるのです。しかしもうおわかりのように心臓にも作用して心臓をどきどきさせてしますのです。健康な人なら動悸程度ですみますが、狭心症や心筋梗塞など心臓が弱い方がベロテックを投与されると、狭心発作や心筋梗塞などを招いてしまう危険性があるのです。

 

そこで、気管支を広げかつ心臓を刺激しない薬剤があればいい、との理由で開発されたのがメプチン(左図)サルタノール(右図)などの薬剤なのです。実は、気管支平滑筋と心筋細胞上のβリセプターは構造上微妙な違いがあり、β1とβ2として区別されているのです。ベロテックはこの両者と結合してしまうため、上記のような動悸などの副作用をもたらすのですが、メプチンやサルタノールなどはよりβ2リセプターに特異的に結合しβ1リセプターにはあまり結合しないように開発されているのです。ここにも“鍵と鍵穴の関係”が利用されています。しかし、困ったことにメプチンやサルタノールは、ベロテックよりもβ2リセプターに結合する作用が弱く従って気管支を広げる作用はベロテックには劣ってしまうのです。

次にベロテック乱用がなぜいけないのかの理由の一つに、ベロテックを使いすぎると気管支拡張作用が弱くなるという現象があるのですが、このことについて説明します。ベロテックはβ2リセプターと結合し気管支を広げる働きが終わると、その複合体は細胞の中に取り込まれて分解されてしまいます。そして、次の作用を発現するためには新しいβ2リセプターが作られ細胞表面上に出て来なくてはならないのです。ある程度は細胞表面上にはβ2リセプターの数に余裕がありますから、ある程度まではベロテックを吸入しても気管支拡張効果が得られますが、あまり頻回に使いすぎると細胞表面上のβ2リセプターがなくなってしまう現象が起きるのです。こうなるとベロテックをいくら吸っても発作は押さえられなくなり極めて危険な状態と考えられます。

ここでひとつつけ加えておきますが、実は吸入ステロイドをはじめとするステロイド剤にはこのβ2リセプターの合成を促進する作用があるのです。通常ステロイド剤は気道の炎症を鎮静させることで気道を広げると考えられていますが、実はこの他に気管支平滑筋上のβ2リセプターの合成を促し常にアドレナリンやベロテックに対していつでも反応できる準備をしているとも考えられているのです。吸入ステロイドを長期間使用すると気道の炎症が治まり発作が起こらなくなり、ベロテックを使用しなくてもすむようになることはよく経験されることですが、そのもう一つの理由はステロイドによって気管支平滑筋上のβ2リセプター(数)が正常に保たれ、元々体の中にある気管支を広げる働きをするアドレナリンの作用を正常に保っていてくれる可能性もあるのです。

(2)ベロテックの乱用がなぜ危険か?
さて、ベロテックをはじめいわゆるβ2刺激剤と呼ばれる薬剤がなぜ気管支を拡張させるかがおわかり頂けたでしょうか?すでに可能性の一部を述べてしまいましたが、次にベロテックなどの気管支拡張剤の乱用が何故喘息死を引き起こしうるのかまとめてみました。

<1>本来は病院を受診しなければならないほど喘息自体の病態が悪化している。
喘息の病態が軽症のうちはベロテックを1吸入すれば発作は治まってしまい、しばらくの間は何ともなくなります。しかし、次第に気道炎症が悪化してくるとベロテックを吸入しても効果が不十分になってきます。気道が細くなると薬剤が患部に到達しなくなり、気道を経由して粘膜に到達してはじめて作用を発揮する“吸入剤の最大の欠点”が現れてしまいます。従ってこれ以上気管支拡張剤を吸入しても無意味で、早目に病院を受診しネオフィリンや速効性ステロイドなどの全身投与を受ける必要があるのです。その適格な来院時期を失するが故にねばねばした粘稠(ねんちょう)性喀痰が細くなった気道を閉息し窒息死してしまうと考えられています。よく、気管支拡張剤を吸入しても良くならないからとせっかく来院したのに、“ステロイドなどは体に良くないから”と言って、また気管支拡張剤のネブライザー投与を指示する医者がいますが、はっきり言ってこれはタブーです。かえって苦しくなるばかりです。(大きな声では言えませんがそのような医者からは早く逃げるべきです。)ただし、軽症の小児喘息のように家で吸入剤を使用して来なかった場合はネブライザーを最初に試みる価値はあります。この意味で、上手な気管支拡張剤の吸入は発作がひどくなる前に早目に行うことです。あまり吸ってはいけないからと我慢するのは禁物です。

<2>気管支拡張剤が効きにくい状態に陥っている。
これは、(1)で述べましたように気管支平滑筋細胞上のβ2リセプターが減少してしまっていることがその理由と考えられます。繰り返しになりますが、普段から吸入ステロイドを定期的に行い、気道炎症を鎮め発作が起こらない状態に保っておくばかりでなく、β2リセプターを正常状態に保っておくことが寛容です。

<3>頻回吸入が心臓発作を誘発する。
ベロテックなどは、他の気管支拡張剤に比べ心臓を刺激する作用が強いことも(1)で述べました。従って、ベロテックの乱用は心停止を誘発し、これが過量投与による喘息死の原因の一つと考えられています。しかし、私は元々心臓に合併症を持っている方なら別ですが、心疾患を合併していない喘息患者さんの多くがベロテックの吸いすぎによる心臓発作が原因で命を落としているとは考えにくいと思います。喘息死した患者さんが空になったベロテックの容器を握っていたり、あるいは遺体周囲にベロテックが転がっていたりという状況証拠だけからの推論であって、喘息死した患者さんを解剖して心停止を起こしたことが実際に証明された事例は非常に少ないと思います。むしろ解剖所見からは、細くなった気道に粘稠性喀痰がつまっていることが証明されており、死のぎりぎりまでベロテックに頼り来院時期を失して窒息してしまった状況がうかがえるのです。

<4>気管支拡張剤の担体であるフロンガスが気道を刺激している。
現在普及している定量噴霧式気管支拡張剤はほとんどがフロンガスを担体として使用しています。フロンガス自体を吸入しても気道を刺激することが報告されています。軽症発作の場合は、同時に気管支拡張剤が含まれていますので、拡張効果が打ち勝って気管支が広がってくれますが、重症になるとフロンガスによる気道刺激の方が強く現れる可能性があります。しかし、“フロンガスが人体に有害なのだ”と勘違いしないで下さい。フロンガスは不活性ガスと呼ばれ人体に入っても悪い作用はありません。フロンガスは、オゾン層を破壊してより多くの紫外線を地球にもたらすとの理由で撤廃が叫ばれている物質ですから、くれぐれも“気管支拡張剤にはフロンガスが入っているから危ないのだ”と短絡的に考えベロテックなどを毛嫌いするのは考え物です。あくまで、気道炎症が重症化しているときに限り、繰り返すフロンガスの吸入が気管支拡張効果を上回り発作増悪の誘因になりうるということです。

以上、ベロテック乱用の危険性について述べてきました。繰り返しになりますが、ベロテックに喘息死増加の非があるとすればそれはあまりにも効き目がよい良い点でしょう。そのために、ベロテックを吸えば大丈夫と楽観し適格な来院のタイミングを失ってしまう。私はこれにつきると思います。従って、最も大切なのは、ベロテックを2、3回使用しても発作が治まらないときは早目に来院させる“患者教育”と普段から発作が起きないように吸入ステロイドを定期的に行うことだと思います。またできれば、ピークフローモニターにより自分の現在の状態を客観的に把握しその状態に応じた無理のない日常生活を送ることだと思います。

このような根本的な対策を講じずして、ベロテック使用を制限するだけの処置は、他の気管支拡張剤を“第2のベロテック”にのしあげるだけだと思います。ベロテックに慣れてきた患者さんからむやみにベロテックを奪うことは、より効果の弱い気管支拡張剤を使わざるを得ないことですから、その回数が増えるばかりでかえって喘息死が増加してしまう可能性すらはらんでいると考えます。