3. ベロテック報道に対する現場の困惑

平成9年3月以来、気管支喘息の発作治療薬“ベロテック”と喘息死に関する報道がマスコミ関係で取り上げられ、喘息の患者さんやその家族の方は並々ならぬ感心を寄せていることと思います。喘息診療に携わっている私にとりましても、日常診療に種々の影響が現われております。中には、ベロテックを販売しているベーリンガー社の他の吸入剤は大丈夫なのか?あるいは吸入ステロイドは大丈夫か?などの問題点を履き違えた問い合わせも多くなっています。現在のところ、黄色い紙に赤い枠で囲まれた“緊急安全情報”は手元に届きましたが、まだ学会レベルでの“正式コメント”なるものは回ってきませんので、ここでは私の考えを述べさせていただきます。

吸入気管支拡張剤と喘息死との関連は、この寄稿集でも取り上げております(→(4)の患者さんのコメント)。この文書はこの報道がなされる前に作成されたものですので、今回の騒動が我々呼吸器専門医にとってはベロテック乱用と喘息死を結び付ける新しい情報ではなかったという点をまず強調しておきたいと思います。実際、10年前ほどからニュージーランドでのこの報告は我々の元に届いていたのです。当時薬害エイズ事件などは当然公にされていませんでしたから、厚生省の対応の遅れがなかったとは言えません。

当時の私の認識は、ベロテックをはじめとした気管支拡張剤エロゾルの乱用が問題なのであって、ベロテックを吸入したこと自体で喘息死が引き起こされるものではないということでした。この考えは現在も変わっておりません。ベロテックは気管支拡張剤の中では作用が強い方ですから、いつの間にか重症な方や発作を繰り返す方のなかで作用の弱いものが余り使われなくなりベロテックが生き残る“取捨選択”がなされていったのだと思います。私の懸念は、ベロテック使用を制限することで乱用による喘息死の数はある程度減らせるとは思いますが、他の気管支拡張剤が“第2のベロテック”になりはしないかということです。根底にある問題は、発作が頻発するような気道炎症の続く状態から吸入ステロイドなどをうまく使って如何に脱却するかです。

文芸春秋でノンフィクション作家の櫻井よしこさんが“喘息患者がつぎつぎに死んでゆく”と題したエッセイを掲載しておりました。この問題についてよく取材されまたよく勉強されたこと、またこの寄稿集で私が訴えたかった“喘息患者の悲惨な状況”を取り上げてもらえる良い契機になりうることは、非常に評価しまた感謝します。しかし、ベロテックの写真とともに“喘息患者がつぎつぎに死んでゆく”と表題を掲げたのでは、中味を熟読しない方は“ベロテックを吸うと喘息死してしまう”と誤解しかねないと思います。これはこの寄稿集で何度も述べておりますように“ステロイド”にも同じことが言えます。最もいけないのは医師の指示を守らない“乱用”であってその“薬物自体”ではないはずです。ベロテックにしてもステロイドにしても正しい使い方がなされれば、副作用よりも恩恵の方がずっと大きいのです。現代社会はマスコミの影響があまりにも強すぎますので、興味を引くタイトルには細心の注意を払ってむやみに国民を刺激し不安に陥れるような事態は極力避けて戴きたいというのが現場からの私のお願いです。