薬害オンブズマンに対する意見書

 平成9年6月12日付けで以下のような“薬害オンブズマンに対する意見書”を送りましたので、ここに掲載します。

ベロテック販売中止・回収要請に関する反対意見書

薬害オンブズマン殿

 私は、山形大学医学部臨床検査に所属する呼吸器内科の医師です。平成9年6月9日の読売新聞の記事によりますと、貴薬害オンブズマンは日本ベーリンガーインゲルハイム社(ベ社)に対してベロテックの販売中止とその回収を要請したとの内容が報道されていました。私個人の考えとして、この要求は我々現場の医師や喘息に苦しむ患者さんの意向からまったくかけ離れた筋違いの要求であり、是非とも要求を撤回して頂きたくここに意見書を送ることにしました。
 私は、薬害エイズにみられる一連の厚生省の不祥事には一国民として非常に憤慨しており、また厚生行政には数々の不満を持っております。また、ベ社に対しては、私個人としては何の利害関係もなく、従いましてこの意見書はまったく中立的立場あるいは患者さんの立場
からなされている点をまず強調しておきたいと思います。結論から申し上げまして、ベロテックは一連のマスコミの“厚生省バッシング”の格好の材料にされていると思います。薬害オンブズマンとしては、ベロテック乱用によって亡くなられた患者さんに対する補償問題などを取り上げるならいざ知らず、ベロテックの販売中止と回収を求めるとのこの度の要求は、“喘息のベロテック”を“薬害エイズの血液製剤”と同系列の薬剤とみなしている点で明らかに問題点を履き違えていると言わざるを得ません。極端な話、1回1錠の睡眠剤を10〜20錠もまとめて服用すれば誰でも死に至るでしょう。「だからその睡眠薬は危ないから回収しろ」との非合理的な論理と全く同じであると思います。“薬害”というのは、常用量を服用したにも関わらずその薬剤の主作用または副作用で、死亡したり重篤な後遺症が現れたりすることを指すのだと思います。“ベロテック”の使いすぎによる喘息死との関係は今回の小児アレルギー学会喘息死委員会の報告がなされるかなり以前からすでに周知の事実であって、使いすぎが良くないのは医療の現場では常識であったはずです。私自身も、患者さんには再三にわたり乱用の危険性を説明し注意を促してきましたし、それで1名の喘息死患者も出ておりません。その点で今回の貴薬害オンブズマンの要望は、こうした医療現場での我々の努力を踏みにじる行為であるとさえ言えます。
 また、何よりもベロテックを必要としている患者さんのことを考えて下さい。確かに、気管支拡張剤は他にもあるでしょう。しかし、ベロテックに依存している喘息患者さんは、他の吸入剤では効果が弱くなっているか作用時間が短くなってしまっているのです。そのような患者さんからベロテックを取り上げることは、作用の弱い他の吸入剤の乱用に走らせる危険性をはらんでいると思います。
 この度の小児アレルギー学会喘息死調査委員会の報告にしても、多くの専門家のコンセンサスを得ているわけではないと思います。また、この報告を受けた一部マスコミの報道には、喘息死とベロテックの関連づけに関していくつかの疑問点があります。まず、喘息死した123例の小児のうち、気管支拡張剤吸入の過剰投与が原因と思われるのが11例でその7例がベロテックを使用していたとの報告がなされていますが、この数値を見て“確かにベロテックは危険だ”と感じる医師は非常に少ないと思います。驚くべきは、7年間で123例もの喘息児が死亡していることの方であって、それに占めるベロテック乱用者の割合は“むしろ少ない”とさえ感じます。123例のうちの7例をもってベロテックを“黒”と断定するのは非常に危険であると思います。また、ベロテックは作用の強い気管支拡張剤ですから、より重症な方や多忙で十分な治療が受けられない方に多く使われるのは明らかです。従ってベロテックの総売り上げに占める割合に比べ喘息死した患者さんで多く使われていたとすればこれは当たり前のことであると考えます。また、喘息死の死亡原因として、ベロテック乱用による心臓発作などがあげられていますが、これは全くの類推であって何の科学的証拠もないと思います。喘息死した患者さんの解剖所見は粘ちょう性の痰が気道を閉塞する“窒息死”であるというのが一般的な認識のはずです。また、欧米ではベロテックを販売中止にしたことで喘息死が減少したとの報告が引用されていますが、これは気道炎症を鎮める吸入ステロイド普及の時期とも一致しており、必ずしもベロテックを中止したことのみによる現象とは考えられないと思います。また欧米と日本では単純に比較できない国民性や保険制度の違いが当然あるはずです。
 私ども呼吸器内科医が“ベロテック乱用が何故いけないか”を患者さんに説明するのは、“ベロテックが効かなくなるほど喘息自体の病状(気道の炎症)が悪化している”からであって、“ベロテックそのものに非がある”からではありません。従いまして、もしベロテックの販売中止・回収という作業でこの問題が一見解決されたような印象を世間に与えるとしたら、これこそ非常に問題があると思います。それは、“ベロテックが何故乱用されるか(気道炎症が悪化するのを何故野放しにされているか)”という基本的でかつより重要な問題が置き去りにされているからです。つまり、7年間で123人もの喘息児が死亡した事実の方がより重要である点が忘れ去られる可能性があるからです。もし、ベロテックを販売中止にするなら、吸入ステロイドなどの普及によって持続する慢性気道炎症を鎮静化させるなどの対策を講じることが必要であると思います。この根本的な問題を解決せずして、“まずベロテック販売中止・回収”という表面的な対処は、これまでベロテックに依存してきた喘息患者さんをむやみに恐怖のどん底に陥れるだけであると思います。
 最後にこの一連の騒動に対する私なりの結論は、1)ベロテックの販売中止や回収は不要であること2)ベロテックは有用性の高い薬剤であるが乱用はやはり慎み早目の来院などの患者教育を徹底させること3)吸入ステロイドなどの普及によって持続する気道炎症を除去しベロテックを頻回に使用するような重篤な状態から1日も早く脱すること、であります。特に2)に関しては今回の一連の報道で患者さんはベロテックに十分すぎるほど敏感になっていますから、今後乱用は激減すると思います。しかし、一部の患者さんにとってはベロテックはかけがえのない薬剤であります。喘息発作は我慢できないのです。その点を十分考慮して頂きたいと思います。患者さんや専門家の意見をもっともっとお聞きになり、慎重な対応をお願いいたします。
 私はこうした喘息患者さんからの声を“ぜんそく患者さんからの寄稿集”の形としホームページ上で運営しております。また、患者の方が運営している“Zensoku Web”にもたくさんの患者さんの声が載っています。ぜひこれらの声を広く聞かれて参考にして頂くことを切に要望いたします。

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