ここでは、他のコーナーでその都度述べてきました、気管支喘息の概念の変化について系統的にまとめてみたいと思います。この概念変化は、現在は喘息の吸入ステロイドの普及という治療法の変化としてしか捕らえられていませんが、実は様々な喘息についての常識や考え方をも根底から覆すほど大きな変化であることは、医師を含めてた多くの医療従事者もまだよく気付いていないのではないかと思います。ましてや多くの患者さん及びそのご家族の方々にとってその変化の意味を知ることはほとんど不可能に近いと思います。ここでは、その点を中心にまとめてみました。医師をはじめ医療従事者にも是非読んでいただきたいと思いますし、また忌憚のないご意見も承れればと考えています。
気管支喘息は、ハウスダストやダニなどが原因(アレルゲン)となってアレルギーを引き起こし、気管支が細くなり、ゼイゼイ、ヒューヒューという軽い喘鳴から呼吸困難、ひいては喘息死までをも引き起こす幅広い疾患です。いや、と考えられてきました。従って、その治療は発作を取ること、その予防はアレルゲンを除去し、発作でも苦しくならない丈夫な身体を作ることなどでした。喘息発作は、精神的な誘因でも引き起こされることから、気の病とか母原病と考えられた時期もありました。また、以前は病気ひとつせず丈夫であったのに喘息になってすっかり体力がなくなってしまったという声もよく聞かれました。
しかし、このすべてが間違った考えであったかというと決してそうではなく、図に示しますように、これらは喘息の初期病変であると考えられることがわかってきました。つまり喘息患者さんは発作のない時はまったく健康人と変わらないのに、アレルゲンに暴露されると気管支粘膜の気管支平滑筋が痙攣を起こし発作が起きる。治療によって気管支痙攣が抑えられると、発作は治まり元の気管支に戻る。これが、古い概念なのです。
大きな概念の変化とは、発作時の概念は変わりないのですが、発作のない状態では正常人と何ら変わらないのではなく、喘息患者さんは発作のない時でも気管支に炎症が残っていることがわかってきたことです。
重度の喘息で死亡した患者さんを解剖してみると、気管支粘膜は高度にむくみ、粘稠性の喀痰が気道を閉塞し、その結果窒息死したということは以前よりわかっていました。これらの変化は喘息死するような重度の患者さんに限られると考えられてきました。しかし、研究の積み重ねの結果、約10年ほど前から、重症な患者さんにしか認められないと考えられてきたこれらの変化は、程度の差こそあれ発作のない喘息患者さんにも認められることがわかってきたのでした。
初期の頃は正常と同じ気管支粘膜であっても、持続する抗原暴露や繰り返す発作などが、粘膜に休まるいとまを与えず、そこに慢性の炎症が成立してしまったのです。皮膚を一回叩くと、少し赤くなり痛みこそしますが、すぐにもとのて丈夫な皮膚に戻ります。しかし、毎日のように繰り返して皮膚を叩き続けたらどうなるでしょう。皮膚は次第に赤く腫れ上がり、皮が剥けてしまうでしょう。そうなると今度は叩くのをやめても、ヒリヒリと痛むようになり、冷たい水に触れても痛んでしまいます。
同じようなことが気管支粘膜には起こっているのです。気道の炎症とは、好酸球を主体とする細胞浸潤、その結果としてのむくみです。いくら炎症が起きても気管支という管(くだ)の外側に向かってむくめば、気管支が細くなることはないのでしょうが、残念ながら管の内側に向かってむくむため、管が細くなってしまうのです。喘息ではさらに、粘稠性の硬い痰が多く分泌され、それだけでも管は細くなっているのです。
喘息の発作は、このような気道の炎症を背景に引き起こされるのです。先ほどの皮膚の例えで言いますと、すでにじくじくしている皮膚を思いきり叩くようなものです。これは、痛くて飛び上がってしまいます。慢性炎症に基づく喘息発作は、図でもわかるとおり、しばしば高度の気道狭窄を引き起こします。時には痰をつまらせ窒息死してしまうこともあるのです。
治療のところでも詳しく述べますが、喘息発作を取っただけでは、気道炎症が残っていますから、また様々な刺激で再発作を起こしてしまうのです。気道炎症除去なくしては喘息発作の予防はあり得ないのです。
喘息発作時は、呼吸が苦しくなることは誰でも想像できます。気管支喘息の概念変化の大切な点の一つは、発作がないときでも慢性気道閉塞に伴う様々な日常生活制限があることです。例えば、よくシンクロナイズスイミングで使用される器具で鼻をふさぎ、直径1cmの細い管を口にしっかり加えて呼吸をしてみて下さい。安静にしている分には何とか呼吸ができるでしょう。しかし、その状態で100メートルを走ったり、2階まで一気に駆け上れますか?健康な人なら恐らく苦しくて仕方がないでしょう。この点ではむしろ喘息患者さんの方が、その苦しさに耐えられるはずです。何故ならいつもその状態で生活しているので苦しいのに慣れてしまっているからです。長年喘息に苦しんできた患者さんは、安静にしていながら発作という苦しい呼吸困難を経験しているので、その苦しさから逃れると、それだけでも大分楽になったと錯覚してしまうのです。そして気道炎症が中途半端なまま日常生活に戻ってしまうのです。
気管支喘息の発作が慢性気道炎症に由来するという概念変化は、単に発作を取っただけではまた発作が起きるということを教えてくれるのですが、もっと大切なことは、喘息では発作がなくてもこの慢性気道閉塞に基づくこのような気道閉塞症状があるということです。これは、一つはその状態を放置しておくことは再発作の危険があることはもちろんですが、もう一つはその炎症を完全に取らなければ、普通の人間と同じ生活は送れないことです。さらに、この炎症がほぼ完全に取れた喘息の方は、しばしば通常の人間以上の体力を得ることができる点です。喘息患者さんは、ただでさえ呼吸トレーニングを行っているのに、さらに鍛錬療法と称して呼吸を強くすることは、いかに非合理であるかがわかります。喘息治療の最終目標は、単に発作がない状態を維持することではなく、健康人と何ら変わらない日常生活が送れるようになることにあるのです。
喘息で病院を受診すると、診断をつけるために様々な検査を受けると思います。基本的に喘息の診断は、発作性の呼吸困難があったという事実、つまり病歴が最も重要です。検査はそれを確かめるために行うものです。よく、喘息は発作の時でないと診断がつかないと考えるのは、最初に病態のところで述べましたように、古い概念と言うことになります。喘息では非発作時でも検査で異常が見つかるのです。
喘息の検査は、(1)喘息の診断をつける検査、(2)喘息の原因を調べる検査、(3)喘息の程度を調べる検査に大きく分けられます。
(1)の主体は、肺機能検査です。ここでは、炎症によって気管が細くなっていることを証明し、さらにそれが気管支拡張剤によってある程度元に戻るかを調べます。専門的には、可逆性のある気道狭窄の有無を調べると表現されます。それが、1秒(量)率の変化であり、ピークフロー値の変化であるのです。実はこの変化が最も喘息に特徴的なのです。
(1)には、鑑別診断と言って、喘息に似たいくつかの病気を除外する過程も含まれます。そのためには、レントゲンやCT検査などの他に、詳しい肺機能検査があります。主な除外疾患としては、肺炎や癌、タバコのよる慢性気管支炎や慢性肺気腫、心臓疾患(心臓喘息)、アレルギー性の肺疾患などがあります。その多くは、レントゲンを撮ると何らかの陰影や特徴的所見が取れる場合があるので、比較的容易です。気管支喘息では、レントゲンを撮影しても何も異常がないことが普通です。
(2)は、採血や皮内テスト、あるいは吸入誘発試験などによってその原因をつきとめる検査です。喘息患者さんでは、ハウスダストやダニなど色々な異常が出てくるでしょう。しかし、ここで生じる大きな誤解は、ハウスダストやダニが検査陽性と出たからといって、それが必ずしも喘息の原因とは限らないという点です。特に、採血や皮内テストで陽性と出るアレルゲンは、アレルギー性皮膚疾患、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎など他の全身性疾患の原因である場合もあり、必ずしも気管支喘息の原因であるとは限らない場合があります。また、仮に原因であるとしても、人間が普通に暮らす状況下では、それらアレルゲンから逃れては生活できないはずです。アレルゲンを除去する努力は必要であるとしても、それだけで喘息が良くなると考えるのは誤りです。逆に、明らかにアレルゲンが陽性と出ない喘息患者さんでも、可能性のあるアレルゲンを除去して行くことは大切です。
(3)は気道過敏性検査といわれるもので、アストグラフなどが相当します。これは専門施設での検査になることが多く、しばしば研究的意味合いが強く出る場合もあります。気管支を収縮させる物質(メサコリンやヒスタミンなど)を気管から投与し、どの濃度からどの程度ひどい気管支収縮が起きるかを見る検査です。これは私の考えですが、この検査は喘息を診断し管理して行く上では必要な検査ではないと思います。しかし、喘息治療が進歩する上では、研究は必要不可欠ですから、ある目的があってその旨を十分説明され、主治医からその協力を求められ、なおかつ患者さんが理解し承諾した上でなされるならそれは大歓迎です。どんなに動物実験で良い効果が得られた薬剤や治療法でも、それが患者さんに効かなくては意味がありません。この検査で効果を確かめられるのは唯一喘息患者さん以外にはありません。私も、研究に身を置く立場からお願いしたいことは、喘息になってしまった以上は、自分たちの子孫が少しでも喘息に苦しまないようになるためにも、研究に是非協力していただきたい点です。ただし、何の説明もなくこの検査をされるとしたら、それは言語道断であると思います。
→続く