喘息の治療ですが、最初に述べましたように、喘息が慢性気道炎症に由来すると考えられるようになって、吸入ステロイドをはじめとする抗炎症剤の重要性が唱えられるようになりました。喘息の治療は、(1)発作の治療と(2)発作の予防、これが2大原則です。発作の治療は、以前とは大きな変化はありません。発作の予防には大きな変化があります。気道炎症の概念がなかった頃は、発作はアレルゲン暴露によって起こるとされていましたから、アレルゲンからの回避が重要でした。しばしば、フローリングや空気清浄器など、環境改善が大きくさけばれました。しかし、1度気道炎症が引き起こされてしまうと、アレルゲン除去だけでは、なかなか喘息はよくなるものではありません。そこには、吸入ステロイドなどの抗炎症剤による治療が不可欠になってきます。
喘息の治療は多種多様です。1つの疾患で、これほどの多様な薬理作用を持つ薬剤が存在し、しかも、経口、点滴、吸入あるいは貼付など投与経路も様々である場合は他に例を見ないのではないでしょうか?しかも、図に示しました薬剤の他にも、抗生物質や鎮咳・去痰剤など補助薬もありますし、また一つの薬剤でも微妙に作用時間の違いによって使い分けなければならないのです。医師でさえこれらの薬剤をうまく使いこなしているとは言い切れないでしょうし、ましてや患者さんは何が重要で何をどう使ったらよいかわからなくなるのは当たり前です。
私も医者に成り立ての頃は、これらの薬剤を何種類も駆使して喘息を治すことが“かっこいい”と考えていた時期がありました。しかし、物事は複雑になればなるほどその本質はわからなくなるもので、それは研究の方向が間違っているのだと思うようになりました。今は、はっきり(1)発作が頻発している間は気管支拡張剤、(2)発作が治まったら吸入ステロイドとはっきり割り切れるようになりました。そして、気道炎症がほぼ完全に除去されると気管支拡張剤は不要になることもわかりました。
ここでは、(1)に関しては以前と概念はあまり変わりませんので触れないことにします。やはり、吸入ステロイドが普及してきた経緯について触れなければなりません。
まず、吸入ステロイドに限らず、ステロイド全般の話です。かなり以前より喘息発作には経験的に全身性ステロイドは使われていました。しかし、それはこれまでに述べてきたような気道の炎症をとる積極的な意味合いではありませんでした。喘息はアレルギー疾患であること、また重症発作時はショック状態に近いこと、そしてステロイドには免疫抑制作用や抗ショック作用があり、はっきりと作用機序がわかっていたためではないが、実際に使用すると良く効くので、ネオフィリンなどの気管支拡張剤点滴のみではよくならない場合などに最後の手段として、何となく使われていたのだと思います。私も当初は何故喘息にステロイドが効くのかはっきりわからなかったのを覚えています。
しかし、ステロイドは、リウマチや腎疾患などでも悪者になっていましたように、長く使われると、糖尿病、骨粗鬆症、易感染性、白内障などなど重篤な副作用をもたらしたのです。喘息治療においても例外ではなく、いつも仕方なしにこわごわと使われる薬剤でした。
ストメリンDという吸入薬があります。これは、気管支拡張剤、ステロイド、抗コリン薬の合剤です。これにはデキサメタゾンというステロイドは入っていますが、ベコタイドやアルデシンなどとは異なる全身性ステロイドなのです。乱用されると副作用が出ます。気道炎症の概念変化が起こる前から存在していましたが、喘息予防に使われたのではなくあくまで強力な発作止めとして使われていました。従って、定期的吸入という概念もなかったので、このストメリンDは存在していても喘息発作は一向に予防されませんでした。
このように全身性ステロイドは、気道の炎症を抑える抗炎症作用を期待して使用されたわけではないのです。これは、後でも述べますが、吸入ステロイドの欠点を補う上でその重要性を再認識して欲しいという私の主張と深く関わってきます。
現在の吸入ステロイドが普及する以前から、ステロイドに代わるようなアレルギーを抑える喘息予防薬があればいい。これが時代の要求でした。一つの薬剤が世に登場するには何十年という年月と何十億という経費がかかります。ようやくそれらの薬剤が世に出始めた頃、皮肉にもこの喘息概念の変化が登場し吸入ステロイドの有効性が認められはじめたのです。
副作用のないステロイド、まさにこれは夢の薬です。そして、それが吸入ステロイドとして現実化したのです。インタールやその頃ようやく世に出回った経口抗アレルギー薬(抗喘息薬)など、すべてがご破算に等しい打撃を受けつつありました。
しかし、吸入ステロイド普及の道のりはそんなに甘くはありませんでした。以下にいくつかその原因を上げます。
(1)ステロイドであること。この言葉のもつ何とも恐ろしい響きは、患者さんばかりでなく医師を始めとする医療従事者でさえ簡単には拭い去れないのだと思います。小児科領域では、なお嫌悪感は非常に強いものがあります。
(2)ストメリンDの存在。吸入ステロイドは以前からあるのに喘息発作は一向に減らないのではないか?これも単純な疑問でした。
(3)実際に吸入ステロイドを使ってみても効かない。これは、発作止めスプレーと混同されていたこと、吸入指導やスペーサーの重要性が普及していなかったことなどが原因でした。
(4)経口抗アレルギー(抗喘息)剤の普及。忙しい日本人は面倒な吸入薬より内服薬が好きなようです。また、その開発に莫大な資金を投入してきたメーカーもそう簡単には市場を譲るわけには行きません。開発に関与した医師を巻き込んでの過剰とも取れる宣伝がなされたのでした。これは、私もその渦中にいたことがありましたからその実情はよくわかります。
しかし、スペーサーの普及と吸入指導の重要性が広まるにつれ、吸入ステロイドの抜群の予防効果と安全性は次第に認められるようになりました。そこで問題となるのは、吸入ステロイドの喘息治療における位置づけ、あるいは他の薬剤との関係です。これには、これまで喘息治療に深く根を下ろしていたテオドールやインタールなどの既存薬との関係や、(4)のように次々と新しく世に出てくる抗アレルギー(抗喘息)剤との関係です。
喘息治療は吸入ステロイド一つで十分である。これが私の結論です。そして他の薬剤は、吸入ステロイドを効かせるための補助薬である。例えば、発作が頻発する状態では、吸入ステロイドは病変部に到達しませんから、気管支拡張剤や速効性ステロイドで発作を取り、経口気管支拡張剤やスプレー式気管支拡張剤の屯用により持続的に発作を予防する。そして、気管支がだんだん広がってくると吸入ステロイドが効果を発揮するようになる。吸入ステロイドを効かせるためには痰が多いと十分に作用しませんから、去痰剤が必要な時期があります。そして、ほぼ完全に気道炎症が取れてくると発作は起きなくなり痰も出なくなってきますから、気管支拡張剤や去痰剤は不要になります。時には気道炎症が高度な方がおりまして、いくら気管支拡張剤を投与しても意味がありませんから、積極的に全身性ステロイドで血行性に気道炎症を取る必要があります。これが、全身性ステロイドをもう一度見直して欲しいという私の主張です。あくまで吸入ステロイドの補助ですから、決して長期間使用して強い副作用が出現することはあり得ません。
そして、インタールや経口抗アレルギー(抗喘息)剤は、これが良く効くよほど軽い喘息ならその必要性は認めますが、併用する意義はほとんどないと思います。なぜなら、より効果のある副作用のない薬剤を使用しているのに、より効果の弱い高価な薬剤を併用することなどまったく無意味であるし、膨大する医療費を考えれば、むしろ避けなければならないとさえ言えるでしょう。実際、吸入ステロイドでよくコントロールされている患者さんが、それまで併用してきたこれらの薬剤を中止しても何も起きないのがほとんどです。
このように、喘息治療は吸入ステロイドを中心として行われるべきであり、病状に応じて必要とされる補助薬は変化して行きますから、漫然と服用し続けるのは避けなければなりません。私が何故不要な薬剤をやめるべきかと主張するもう一つの理由は、薬剤のことを良く知らない患者さんは、吸入ステロイドと内服薬を併用して行くと、次第に吸入操作がおろそかになりがちだからです。病状が安定してくると少しくらい吸入ステロイドをしなくても実際何も起こりませんし、頭のどこかに薬さえ飲んでいれば良いという邪念が持ち上がってくるのは人間です。最も有効で副作用のない吸入ステロイドしか吸っていなければ、吸入がおろそかになることも防ぐことができるからです。
吸入ステロイドが喘息治療薬の中心となるべき理由を述べてきましたが、実際その運用となると様々な問題があります。以下に吸入ステロイドの吸入法を述べますが、原則は一つ、吸入ステロイドは気管支粘膜に到達しなければ効果を発揮しない、ということです。スペーサーの使用や吸入指導にしてもこの1点に集約しているのです。逆に、吸入ステロイドが気管支粘膜に到達しさえすれば、十分な効果が得られるのです。
たとえ吸入ステロイドを何吸入かでもしていれば、コントロールがつかない喘息はないというのが私の考えです。吸入ステロイド療法に疑問を抱いていたり良く理解していない医者がよくやる間違いは、吸入ステロイドが効かないとすぐテオドールなどの増量に走ったり、新しい抗喘息薬を増やしたりすることです。これらのほとんどは、医療費の無駄遣いになります。
吸入ステロイドの効かない喘息など存在しない、とうのが私の考えです。なぜならベクロメタゾンは存在するステロイドの中で最強の抗炎症作用を有するステロイドだからです。プレドニンの数百倍から数千倍の抗炎症作用を有しています。
吸入ステロイドが効かない多くの場合は、効果を阻害している因子が必ずあるはずですから、それを除外することに全力を注ぐことです。決して吸入ステロイドが無効の喘息になってしまったわけではありません。具体的には、以下の点をチェックすべきです。
(1)まず、本当に吸っているか確認すること。良くあるのは、吸入ステロイドを発作止めと勘違いし、発作時に効かないからと途中で止めてしまったり、ステロイドであるとの恐怖心のために吸っていると嘘を言う場合です。これは、主治医の説明に問題があります。
(2)本当に吸っていても効果がない場合には吹い方が悪いのです。スペーサーを使う、ゆっくり吸入する、息をこらえる、これが3原則です。
(3)これをきちんと正しくやっているのに効かないのは、発作を起こしていて、気道が細くなっているために、吸入薬剤が患部まで達しないからです。気道が細くなっている原因は、発作の頻発、痰の貯留、高度な気道炎症の存在などが考えられます。これらを除かずして、いくら正しい吸入をしていても、無駄な操作をしていることになり、ほとんど効果は得られません。発作が頻発しているときは、気管支拡張剤を吸入してから吸入ステロイドを吸う。水分補給やネブライザーなどで去痰を行ってから吸入ステロイドを行う。高度な気道炎症が存在しているときは、10日から2週間の一定期間、全身性ステロイドの力を借りなければなりません。気がついて欲しいことは、いずれの処置も吸入ステロイドを如何に効かせるかの1点に集中していることです。苦しいから行う気管支拡張剤の吸入、去痰のネブライザー、ステロイドの点滴ではないことです。先手を打つことこそ喘息の発作予防になるのです。
(4)中にはこれをきちんとやっても良くならない喘息患者がいます。しかしこれらの方は、決して吸入ステロイドが効かない体質であるのではなく、気道炎症が鎮静化するまでに最も必要な気道の安静が保てないことです。皮膚を叩くと慢性炎症が起きるというたとえ話をしましたが、その炎症を鎮めるためにいくら薬を塗ってもそこを叩き続けたのでは、治る病気も治りません。仕事が忙しい人、子どもなら部活や勉強で忙しい場合です。我々はこれを社会的難治と呼んで治療法の確立していない他の難治性疾患とは区別しています。気道の炎症を取るまでに一定期間、気道安静を保たなくては、喘息は絶対に良くならなのです。逆に、この気道炎症が完全に取れると、多少無理をしても発作どころか何ともなくなることが多々あるのです。
吸入ステロイドの普及は、これまで悪とされていた全身性ステロイドの必要性を再認識させてくれました。さらに、ピークフローメーターという、喘息治療においてもう一つ画期的な道具を再発見させてくれました。
吸入ステロイドは、副作用がないので病状に応じて薬剤を増減することが可能な薬剤です。その基準となるのが、家で簡単に行えるピークフローメーターなのです。吸入ステロイドは発作予防の意味がありますから、発作が起きてから吸入ステロイドを増量したのでは意味がありません。従って、発作が起きる前に増量し未然に発作を防止しなければならないという必要があったのでした。これに答えてくれるのが、ピークフローメーターなのです。
ピークフローメーターによる喘息の管理は、高血圧治療における血圧測定と似ています。毎日のように血圧を測定するのは、高血圧が持続することで発症する動脈硬化に基づく様々な成人病を予防するためです。脳血管障害が非常に多かった頃は、血圧などを測定していませんでしたから、高血圧でとうとう脳血管が破裂してから救急車に運ばれて病院を受診していました。これを喘息にたとえると、気道炎症で気管支がだんだん細くなってきているのに気付かず、いよいよ発作を起こしてから救急車で病院に運ばれるのと同じです。喘息が、アレルゲンに暴露され突然発作が起きるなら、喘息予防におけるピークフローモニターの意義はありません。まさに、古い喘息の概念ではその重要性など問題にされなかったのです。しかし、新しい概念では、非発作時でも気道炎症が存在し、その炎症の悪化に伴って発作が起きますから、発作を未然に察知し安静や吸入ステロイド増量などの先手を打つことで、発作を防止することができるのです。まさに新しい喘息概念の変化がもたらした産物であります。
ピークフローモニターは気道炎症のモニターですから、発作が起きてしまったら記録する意味はありませんし、それは発作を増悪するだけですから、記録すべきではありません。反省すべきは、何故ピークフローをきちんと記録していたのに発作が起きてしまったかで、常に自己分析によりその原因を推測することです。ピークフロー値の安定した基準は、自己ベスト値あるいは性別、身長、年齢から規定される平均値の80%以上(ブルー・ゾーン)とされています。その値の80%から50%までをイエロー・ゾーン、50%以下をレッド・ゾーンとして区分されていますが、イエロー・ゾーンに達したら、ブルー・ゾーンへの復活に全力を注ぐべきです。みるみるピークフロー値が低下しているのに何も手を打たないのは、ピークフロー値を記録している意味がありません。
→続く