(00)主治医のひとりごと(その3)
自分は、現在大学病院に席をおいて研究をしている身分であるが、一生懸命研究をしてたくさんの病気が克服されるようになればなるほど、言ってみれば医師としての自分の首を絞める結果になる。私が万が一癌の特効薬を発見すれば、ノーベル賞をもらって自分の栄誉にはなるかもしれないが、恐らくたくさんの医者からは嫌われる存在になるであろう。なぜなら、癌で“食ってきた”医師にとってそれは生活の糧を失うようなものであるからだ。しかし、これに似たようなジレンマが世の中には実に多いと思う。例えば、喘息の治療。発作で救急外来を受診した患者さんに、気管支拡張剤のみを投与し予防策を講じなければ、患者さんはまた必ず発作を起こしてやってくる。苦しいのをとってあげるととても感謝される。いわゆる医者冥利に尽きるという奴だ。何回も何回も点滴を続けるうちに病状は悪化し薬の数は自ずと増える。患者数は減らない。儲かる。逆に時間をかけて病気のことを説明し教育し、最小限の薬剤で一切発作が起きないように導いてあげると、患者さんにはとても感謝されるかもしれないが、実際に今の医療制度では儲けは少ない。儲けようとすれば患者さんを完全に治さないことである。儲け主義で意識的にやっている医師などいないと思うが、悲しいかな結果的にはそうなってしまう。患者さんを良くすることと医者として身をたてて行くこと、これは永遠のジレンマであるように思う。
実際10年前、吸入ステロイドが内科領域で普及し始めた頃、そのあまりの切れ味の鋭さ(発作の減少から生活の質の改善)、また副作用の少なさなどから、この世から喘息という病気が完全に克服され、呼吸器科医としての自分の存在価値がなくなってしまうのではないかと不安に思った時期がある。実際、重度の発作で喘息患者が病棟を占拠する割合が極端に減ったのである。明らかに喘息の治療の主体は、入院から外来へ移ってしまったのである。主に病棟で仕事をする若い研修医の中には、このような背景から喘息の発作を実際に経験したことがない先生すら現われかねない。一昔国民病といわれた“結核”が、今では典型例を経験することが難しくなってきているのに酷似している。
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