K.Landsteiner の血液型の発見から100 年。医療が発達したといわれる今日でも、相変わらず経験と慣習による輸血から脱却できないでいる。確かに輸血も患者毎に対応が異なり、医師の経験と裁量に委ねられる部分もあり、またそれで多くの患者を治療・救命してきた事も事実である。しかし今、輸血を行う目的・基準が客観的根拠に基づいて定められ、実施されることが求められている。
そもそも我が国における輸血医療の指針が最初に出されたのが1952 年で、医師法と歯科医師法による「輸血に関し医師または歯科医師の準拠すべき基準」であるが、この基準が実に37
年もの間改訂されずにあった事自体、驚きといわざるを得ない。それまでも輸血に関するテキストは散見されたが、実際には輸血の理論を学ぶ機会もなく、「出たら入れる」だけの認識と我が国独自のmedical
paternalism で行われてきたといっても過言ではない。輸血は極めて日常的に、全国津々浦々で行われており、それはまた医療における重要性を物語るものであるが、逆にそれが新しい輸血療法への脱皮の足かせになっているともいえる。
勿論その間、輸血検査の進歩は目覚ましく、輸血後感染症の著しい改善はその良い例である。問題は輸血を実施する側の認識である。近年、血漿分画製剤の原料の多くを輸入に依存している事への国際的批判、凝固因子製剤によるHIV
感染、血液製剤へのPL 法の適用、輸血後GVHD の問題など、輸血医療に対する国民の厳しい監視の目が光る中、徐々に適正な輸血へと移行し、医師の認識も変わりつつあるように思える。またそうせざるを得なくなっている。その現れとして、また牽引役として以下のごとく血液製剤の使用基準など、輸血療法に関する様々なガイドラインの整備が行われてきた。
先ず1986 年には早急な対応が必要とされた新鮮凍結血漿、アルブミン、赤血球濃厚液についての使用基準「血液製剤使用適正化のためのガイドライン」が厚生省薬務局より出された。1989
年には院内輸血のあり方、自己血輸血の適応など輸血療法全般に関する指針「輸血療法の適正化に関するガイドライン」が厚生省健康政策局より出され、これでようやく1952
年の基準が改善されることになった。1992 年に「輸血用血液に対する放射線照射ガイドライン(日本輸血学会)」が初めて出され、1993
年には「血液製剤保管管理マニュアル」が、1994 年には製剤使用基準の中で欠けていた「血小板製剤使用基準」が、そして1995
年には「自己血採血保管管理マニュアル」が何れも厚生省薬務局より出された。その後、1997 年には社会的背景を考慮し輸血においてもインフォ−ムド・コンセントが義務づけられ、1999
年にはこれまでの製剤基準や1989 年のガイドラインを見直し、現代の医療に相応した「血液製剤の使用指針」、「輸血療法の実施に関する指針」が出され、我が国の輸血医療に関する環境整備が一層進んだ。これまで近くで遠かった輸血に対する理論と実際の距離が狭まり、現実に即した使い易い指針として日常の医療にも溶け込みつつある。
以上の如くこの半世紀の変化は、極めて安全で質の高い輸血医療が提供されるようになった一つの現れでもある。しかし輸血は細胞治療であり、なおも様々なリスクが潜んでいる。また独善的輸血や単純な輸血事故も後を絶たず、訴訟や社会問題となっている。従って今後も更にこれらの環境を整備し、情報を開示しつつ、基本である患者−医療提供者の良き関係を保つことが、信頼される輸血医療にとっても重要であると思われる。
|