(1)お母さんの手紙(その2)。

月に1回程度の割で喘息教室として、親を対象とした先生と婦長さんの話がありました。死亡例がいくつか載ったプリントを配られました。それについての状況説明がありました。喘息はとってもこわい病気だから遠出はしない方がいいと話されているように聞こえました。そして、自宅に帰るより病院にいた方がいいという内容でした。
息子の退院までの経緯について:
10月の学校の文化祭の練習で疲れ、風邪をひいて、毎日微熱が続いてました。一切の差し入れは駄目という状況で毎日の食事が合わず食べられないこともあって、熱は下がらない。そこに先生がみえて、「君は病院の食事が合わないからこの状態が落ち着いたら退院した方がいいかもしれないネ。」とおっしゃったのです。そこで、2ヵ月先の正月明けに退院すると決めました。11月頃より去年もそうであった様に、夜中に咳が出るような小発作が続きました。ネブライザー(中身はビソルボンとか言ってました)の吸入で毎日を過ごし、年末年始の自宅外泊はとにかく教えられた腹式による排痰を、食べた物を吐くまでさせてから眠る、という日々でした。それをしないと、朝4時まで持たないのです。そうやっても苦しくて、本人が病院へ朝方行きたいと言った日が、15日のうち3回ありました。3度目は「退院を目標にしているのですから、もう少し我慢させて下さい。」という看護婦さんからの返事でした。涙が流れました。10ヵ月間の入院で生まれてからずうっとポチャポチャしていた体が、あばら骨がころころとし入院した時よりも体重が減り、身長もほとんど伸びずに、背中をまるめて呼吸している。発作が起きるたびに苦しさを我慢して、親として助ける事が出来なかった。10才から11才になった息子が可愛そうでなりませんでした。

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