(4)主治医のコメント(その3)

 4)「どうすればいいのですか?」と聞いてみたら「死ぬしかないだろうな。」と笑いながら話す先生。苦しい時にこんな一言は、忘れたくても一生忘れられるものではないでしょう。大人はまだその辛い一言に反論したり、親しい人に打ち明けて憂さを晴らすことができるでしょう。しかし、もし子供だったらどうでしょうか?子供は反論できる訳もなく、お茶を飲みながら「あの先生ひどいんだぜ。」なんて悪口が言えるでしょうか?ほとんどは大きな“心の傷”として一生残ってしまうのではないでしょうか?私がこの寄稿集で皆さんに訴えたい大きな問題点のひとつがこのことなのです。小児科の先生や喘息児を持つ両親は、ステロイドの弊害ばかりを気にして、なかなかステロイドを使おうとしない傾向があります。気管支喘息の何割かは大人になると治ると言われていますが、喘息を患っている時に受けた“心の傷”は一生癒えないのではないでしょうか?
 5)「喘息持ちは咳と痰が出るのは少しぐらい仕方ないなあ。」と先生の諦めたような一言。この先生はおそらく喘息は専門ではないはずですから、喘息で咳と痰が出るのは当り前と思っているのでしょう。しかし、私がここで取り上げたいのは、患者さんやその家族の方も同じような意識を持っていることが多いのではないか、という点なのです。よく「私は喘息だからあまり走れない。」とか「私も喘息だから低気圧が接近したり寒い日などは調子が悪い。」という訴えをよく耳にします。しかし、“喘息だから”というのは“喘息の状態があまり良くないから”ということなのです。つまり、喘息であっても治療によって状態がよくなれば普通の人と同じように「全速で走っても何ともない」し、「低気圧が来ても寒くても調子は悪くならない」のです。この良い例は(3)の患者さんです。彼女もPF値が400前後の時は、「(喘息だから)生理がくるとPF値が下がる。」とか、「(喘息だから)いつも風邪をひいてしまう。」とよく耳にしたものです。しかし、十分点滴をしてPF値が500を越え良い状態になるとどうでしょう、「生理でもPF値は下がらない」し、「風邪さえひかなくなった」ではありませんか?「喘息持ちは咳と痰が出るのは仕方ない」と諦めているとすれば、もっと良くなるのに勿体ないとしか思えないのです。喘息の考え方に関しては昔と今では大きな認識の違いがあります。恐らくその認識のずれが多くの誤解を生んでいると思われます。それは、昔は喘息は“発作が起こらなければ病気は安定している”と思われていましたが、最近はもっと進んで“普通の人と同じように生活できなければ病気は安定していない”と思われるようになってきたのです。この際、「自分は喘息だから...。」という考えはもう卒業しませんか?(ただし、都合の悪い時は「自分は喘息だから...。」と嫌なことを引き受けなくてすむ場合もありますが...。⇒(9)の例参照。)

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